Translate

Translate

2011年4月10日日曜日

そう言えば

橋本仁は本名ではない。
なぜわざわざ偽名を使うのかというと、芸術は本名では負いきれないからだ。
僕はアーティストとしての人格を持つ。
それは僕のつもりとは裏腹に現状とかならずしも一致するものではない。
しかし、僕が橋本仁として在る時はアーティストとして在る時だ。

偽名はあくまで偽名であっても、名である以上人格を持たなければそれは名にな
らない。
人格を持たない名はただの現実逃避だ。
人格をつくることは、すなわち新たな人格を再構築することである。
なぜ新であるものが再構築になるかというと、たとえ偽名のための仮人格とはい
え、全くの別人を設定してしまっては意味を持たないからだ。
偽名を使う以上、それは社会の中でポジティブに作用させなければならない。
つまり、実生活からの逃避が目的ではないからだ。

マインドコントロールとは恐ろしいもので、化粧やお洒落をしないと外へ出られ
ないように、反対に化粧や服装や髪型や髪の色などによっては普段の自分からは
考えられないような行動をとることもある。
それはサングラス一つとってもあることであるし、人間は儀式的に日々気付かぬ
マインドコントロールをしている。
そしてそれは現実逃避にとって変わることが少なくない。

もちろん僕も例外ではない。
僕も日々マインドコントロールをしている。
僕にとっての人格発動スイッチのキーは、大きくはコンタクトレンズと眼鏡だ。
次に朝シャンと寝癖。
あとは場面場面で作業着やバイト着だったりする。

そういった、小さな儀式的マインドコントロールにより起動する人格が実生活の
中に存在するように、社会の中での人格を起動させるのが偽名なのだ。
これはハンドルネームなどという小賢しい横文字とは根本的概念が全く異なる。
偽名は役であり、憑依であり、見立てである。
僕は芸術家としての自分と芸術家以前の自分を偽名で分かつ。
俗っぽい言い方をすれば、オフィシャルとプライベートを分けるという言い方も
できるが、微妙にニュアンスが異なる。

橋本仁を負い、そこに芸術を負わせることで、僕にとっての芸術は成立する。
今の僕にはこれ以上は言葉にできない。しかし、そこにはまぎれもない必然性が
真水のように流れている。

0 件のコメント:

コメントを投稿