就職をしたいと思ったことが29年間で一度もない。
お金を目的もなく漠然と欲しいと思ったことがない。
他人の才能に燃えるような嫉妬をおぼえたことがない。
常に勝ちたいと思っているが、負けることが多い。
無駄に頭を下げるのは得意だが、大っ嫌いだ。
基本的に社会へ怒っている。
健康が好きだ。
菌や汚れに溢れた当たり前の状態が好きだ。
余裕が好きだ。
他人に当たる人間が大嫌いだ。
鯨肉が大好きだ。
理念を持たない人間が理解できない。
稼ぎ方と使い方のアンバランスな教育の内容が理解できない。
お酒も好きだ。
寂しがりやのふりをしている。
覚悟がある。
心に永久凍土を持つ。
差別が嫌いだ。
他人の痛みを考えない人間が嫌いだ。
作るということに対しとくに愛着があるわけではない。
人間はもっと根本的でシンプルな部分で感動できると考えている。
科学技術や馬鹿な規則に相対していたい。
若者の夢を潰すような言動を言うようになったら生きている意味がないと考えている。
肌が弱い。
痒いのと痛いのが大嫌いだ。
格好つけるのが嫌いじゃない。
可愛くなどと見られたくはない。
利己的で興味の無い人の話を聞くのが苦手だ。
酒癖が悪いと言われることがある。
年長者の愚行が許せない。
日本の構造的な問題は60歳以上の腐り方に起因すると考えている。
学ぶことと造ることは正解も終わりもないと本気で思っている。
美術を信じる。
嘘に敏感である。
世界に溶けてしまいたいと思っている。
非常に好戦的で暴力的な自分を抱えている。
とっても深く、愛されたいと思っている。
かといって愛が足りないとはまったく思わない。
平和主義者だ。
そのくせ暴力の捌け口を常に求めている。
今が一番好きだ。
自分のコトにしか興味がない。
人間は溶けるときっと銀色でなんとなく覚束ない、あの水銀みたいな感じだろうと思っている。
下ネタが嫌いじゃない。
惚れっぽい。
大体の他人が、まず、嫌いだ。
資本家と政治家と軍人とその二世を馬鹿にしている。
自制心に乏しい。
今も心に一生消えない夢を抱えている。
だから一つの大事な愛を失った。
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2014年2月26日水曜日
2014年2月23日日曜日
眠気の中の、無題
男の胃袋を掴むのが女の料理だとすれば、多くの労働者、サラリーマンの心を掴むのは、"金"だ。
彼らはあらゆる理由で万物換金主義を肯定する。
彼らにとって100年後の日本も地球も知ったこっちゃない。それは息子娘や孫の話であって自分の世代にはなんら関係がない。
こういったところ、現代の日本の官僚主義と酷似している。
究極的に自分本位な事なかれ主義だ。彼らはおおよそ30代くらいからは脳が硬化し始め40代には"完成"する。
しかし、芸術はその労働者、すなわち多くの死んだ目をして電車に揺られちんけなストレスを発散し無事に無難に一日をやり過ごすことだけに腐心するくだらない日常を送る人間のために在る。もしくはその側に在る。本人にはくだらなくないのかもしれないが。
私が求めるのは一貫して現代における宮沢賢治の言うところの「芸術の労働者における必然性」だ。
そしておそらく、これは正しい。何故なら民主主義は本来字義通り国民による国家、つまり国民国家であり、国民国家を形作るのは官僚の傲慢ではなく民衆の意識だからだ。
Artとは表現である。表現は自由に担保されており、自由は意識の産物である。
そして、Artは意識形成に対し大いに関与し社会の形成粒子の中核に関わる重要な機能である。
社会によって人間の意志や尊厳が圧迫されるのであれば、それは社会の在り方が間違った方向を向いているのであり、その舵役として諸芸術が存在する。芸術は常にその時代との鏡像関係を結び個人から導き出された"正しさ"を標榜する。
その正しさこそが芸術が芸術たる指標である。それこそが崇高さを育み芸術を芸術たらしめる重要なエッセンスである。
逆に、理解の得やすさは必ずしも芸術としての質が高いとは言い切ることができない。
何故なら、芸術はその時代との鏡像関係を結ぶため、渦中の人間、すなわち鏡の中の住人にはすこぶる認識しづらいものであるからだ。
鏡の中の住人は、苦労して鏡から出たところで如何なる醜悪なものがそこに映っていたとしても、そこを自身のバックボーンとして受け入れなければならない。
我々はそもそもそこから生まれ落ちた、あまりに小さい生命粒であるのだから。
だからこそ、我々は我々の身体を使い意識を創ることが可能であるし、人間が人間で在るための重要な確認行為としてArtという表現活動がある。
日本においてその必然性はまだまったく認知されていないが、私は最近心に誓うことがある。それは、私こそがその伝道師たるということだ。
もう誰にも期待しない。無論、自身の先輩、政治、行政、法律。そしてあらゆる人間の戦後の欺瞞を、私は決して許さない。
私はまだ明確化できていない何らかの使命を持つ。
それを全うするまでは絶対に死ねない。
たとえそれが、世界で一番の凶悪な都市であったとしても。
彼らはあらゆる理由で万物換金主義を肯定する。
彼らにとって100年後の日本も地球も知ったこっちゃない。それは息子娘や孫の話であって自分の世代にはなんら関係がない。
こういったところ、現代の日本の官僚主義と酷似している。
究極的に自分本位な事なかれ主義だ。彼らはおおよそ30代くらいからは脳が硬化し始め40代には"完成"する。
しかし、芸術はその労働者、すなわち多くの死んだ目をして電車に揺られちんけなストレスを発散し無事に無難に一日をやり過ごすことだけに腐心するくだらない日常を送る人間のために在る。もしくはその側に在る。本人にはくだらなくないのかもしれないが。
私が求めるのは一貫して現代における宮沢賢治の言うところの「芸術の労働者における必然性」だ。
そしておそらく、これは正しい。何故なら民主主義は本来字義通り国民による国家、つまり国民国家であり、国民国家を形作るのは官僚の傲慢ではなく民衆の意識だからだ。
Artとは表現である。表現は自由に担保されており、自由は意識の産物である。
そして、Artは意識形成に対し大いに関与し社会の形成粒子の中核に関わる重要な機能である。
社会によって人間の意志や尊厳が圧迫されるのであれば、それは社会の在り方が間違った方向を向いているのであり、その舵役として諸芸術が存在する。芸術は常にその時代との鏡像関係を結び個人から導き出された"正しさ"を標榜する。
その正しさこそが芸術が芸術たる指標である。それこそが崇高さを育み芸術を芸術たらしめる重要なエッセンスである。
逆に、理解の得やすさは必ずしも芸術としての質が高いとは言い切ることができない。
何故なら、芸術はその時代との鏡像関係を結ぶため、渦中の人間、すなわち鏡の中の住人にはすこぶる認識しづらいものであるからだ。
鏡の中の住人は、苦労して鏡から出たところで如何なる醜悪なものがそこに映っていたとしても、そこを自身のバックボーンとして受け入れなければならない。
我々はそもそもそこから生まれ落ちた、あまりに小さい生命粒であるのだから。
だからこそ、我々は我々の身体を使い意識を創ることが可能であるし、人間が人間で在るための重要な確認行為としてArtという表現活動がある。
日本においてその必然性はまだまったく認知されていないが、私は最近心に誓うことがある。それは、私こそがその伝道師たるということだ。
もう誰にも期待しない。無論、自身の先輩、政治、行政、法律。そしてあらゆる人間の戦後の欺瞞を、私は決して許さない。
私はまだ明確化できていない何らかの使命を持つ。
それを全うするまでは絶対に死ねない。
たとえそれが、世界で一番の凶悪な都市であったとしても。
2014年2月21日金曜日
泣けるSOCHI
うーーーむ
やはりコストナー、ソトニコワと、素晴らしい演技が続いている。
皆、本当に素晴らしい藝術です。
浅田真央が最高だろうと思っていたけれど、やっぱりノリにノッた演技はすごい。
楽しくさせてくれるし、ぐっと引き込むものがある。
グレイシー・ゴールドはまるで妖精だ。
ワグナーのSPLUSH感はパッチンパッチンにはじけてる。
キム・ヨナのスタイルと身体感覚はずば抜けて神がかっている。間違いなく10年に一人の逸材だ。あの湿度のあるあまりに妖艶で観る者を惹きつけてやまない素晴らしすぎる舞いは亜細亜の至宝だ。僕は彼女こそ女王にふさわしく、勝手に一位であると断定したいくらいの気持だ。
無論、浅田真央の背水の陣から立ち上る覚悟と覇気は僕の胸の中で変わらぬ熱と希望を持ち続ける。
それにしてもとんでもなくハイレベルな戦いだった。
こんなに感動したのはいつぐらいぶりであろうかというほどだ。
誰も聞いていないのに「ありがとう」と言いたくなる。
人生で初めて、オリンピックって素晴らしいなぁと素直に思えた。本当に素晴らしい。
皆、あまりに美しい。
やはりコストナー、ソトニコワと、素晴らしい演技が続いている。
皆、本当に素晴らしい藝術です。
浅田真央が最高だろうと思っていたけれど、やっぱりノリにノッた演技はすごい。
楽しくさせてくれるし、ぐっと引き込むものがある。
グレイシー・ゴールドはまるで妖精だ。
ワグナーのSPLUSH感はパッチンパッチンにはじけてる。
キム・ヨナのスタイルと身体感覚はずば抜けて神がかっている。間違いなく10年に一人の逸材だ。あの湿度のあるあまりに妖艶で観る者を惹きつけてやまない素晴らしすぎる舞いは亜細亜の至宝だ。僕は彼女こそ女王にふさわしく、勝手に一位であると断定したいくらいの気持だ。
無論、浅田真央の背水の陣から立ち上る覚悟と覇気は僕の胸の中で変わらぬ熱と希望を持ち続ける。
それにしてもとんでもなくハイレベルな戦いだった。
こんなに感動したのはいつぐらいぶりであろうかというほどだ。
誰も聞いていないのに「ありがとう」と言いたくなる。
人生で初めて、オリンピックって素晴らしいなぁと素直に思えた。本当に素晴らしい。
皆、あまりに美しい。
感動を残さねばと思い、歴史的瞬間の想いを綴る
そう、世の中には不思議なこともあるもので、虫の知らせというものがある。
なんとなくのなんとない時間。私はふと浅田真央のことを思い出しTVをつける。
TVには今まさに浅田真央が滑走しようというところ。
拳に力が入る。眠たいはずの目を見逃すまいとこじ開ける。
息を飲む。雑念が消える。力を感じる。すごい力を。
人間の、可能性を。
私は歴史的な瞬間に立ち会った何億人かのうちの一人だ。
涙がでる。
生きる力を分け与える。そんなスケーティングだった。生命力。それは意識と身体性が極限まで高められた人間が人間たる最高状態の生命力だ。
あまりに素晴らしく震えがくるほどの。
余裕のある柔らかさも流れるようなしなやかさも色気のある妖艶さもこの生命力、人間の根源的な魅力、力の前にはひれ伏すほかはない。
まるでそれは大自然に挑む滑稽な人間の所業に似ている。
浅田真央はついに富士山になった。鷹が舞い茄子が踊るほどの富士山に。
一瞬、日本を心から愛した。浅はかな右傾化と官僚主義とに嫌気がさして、はやく滅んであまりに遅く取り返しのつかない反省でもしたらよいのにと思っていた心が、あの演技に触れているあいだだけは、攻撃的な気持ちが薄れ自身の中にも在る気候風土の香りを愛せた。たとえそれが悪しき政治・社会システムを育む温床に繋がるとしてもだ。
藝術はかくも美しい。
心底そう思わせてくれた、浅田真央さんの最高の演技でした。
なんとなくのなんとない時間。私はふと浅田真央のことを思い出しTVをつける。
TVには今まさに浅田真央が滑走しようというところ。
拳に力が入る。眠たいはずの目を見逃すまいとこじ開ける。
息を飲む。雑念が消える。力を感じる。すごい力を。
人間の、可能性を。
私は歴史的な瞬間に立ち会った何億人かのうちの一人だ。
涙がでる。
生きる力を分け与える。そんなスケーティングだった。生命力。それは意識と身体性が極限まで高められた人間が人間たる最高状態の生命力だ。
あまりに素晴らしく震えがくるほどの。
余裕のある柔らかさも流れるようなしなやかさも色気のある妖艶さもこの生命力、人間の根源的な魅力、力の前にはひれ伏すほかはない。
まるでそれは大自然に挑む滑稽な人間の所業に似ている。
浅田真央はついに富士山になった。鷹が舞い茄子が踊るほどの富士山に。
一瞬、日本を心から愛した。浅はかな右傾化と官僚主義とに嫌気がさして、はやく滅んであまりに遅く取り返しのつかない反省でもしたらよいのにと思っていた心が、あの演技に触れているあいだだけは、攻撃的な気持ちが薄れ自身の中にも在る気候風土の香りを愛せた。たとえそれが悪しき政治・社会システムを育む温床に繋がるとしてもだ。
藝術はかくも美しい。
心底そう思わせてくれた、浅田真央さんの最高の演技でした。
2014年2月14日金曜日
2014年2月13日木曜日
準アーティストからアーティストになるために
人よりちょっぴり長い大学生活が終わった。
始めに断っておくが、私の大学生活は就職を目的としたちゃらんぽらんなバイトと女のケツを追いかけ回すことだけに終始する日本の学生の定義とは別物である。
私の大学生活を端的に言い表すならば、それは「肚」と「覚悟」の二語である。
若者が若者らしく、大人が大人らしく、年配が年配らしく在るのが理想だ。
若者が有り余るエネルギーと情熱をそのままに表現し、それが殺されてしまうなら、本当にこの国はある終焉を迎えつつあるのだろう。
それを見極めるには、自身、命を懸けた覚悟と行いをせねばならんと考え生き抜いた。
無論、同時に自身の若さと大学という恵まれた環境を最大限生かすため、修了後のスピードダウンと環境を一から作らなければならないことによる諸問題を想定したうえでのキャリア作りを念頭に据えていた。
複合的にみて、最終的には社会に負けたというのが、ようやく今になって正直に言える部分である。
私は負けた。
芸術は初期投資。リスクを負わずして未来は無い。若さを担保とした芸術をする。何より、当事者でありたいと強く思った。
全ての日本人に、メディアの食い付かないところで抗う一人の日本人がいることに気付いてほしかった。
日本人はスポーツ選手だけが世界と戦っているわけではないことを、スポーツ選手だけが自分と戦っているわけではないことを、気付いてほしかった。無論、アーティストとはJ-POP歌手だけを指す言葉ではないということも。
人間は表現ができる。
それは猿と類人猿とに別れる際の重要な要素である共感覚に担保されたものだ。
他人に媚びるだけが社会性ではないし、お辞儀の角度が社会性ではない。
大人になるとは冷めた意見を言えるようになることではないし、家族のせいにして自身の怠慢と臆病を言い訳することでもない。
愛するとはお互いに寄り添って支え合うふりをしながらどちらか一方が我慢をすることではないし、考え無しに子供を作ったりむやみやたらに結婚という儀式をするだけのことではない。
そして、人生とは決して小中高大就職結婚出産出世の空虚を指す言葉ではない。
人が生きるということは、そんな空語で表せるようなものではない。
社会は甘くないという人間にかぎって、社会をお金を稼ぐことであると単一的に誤認している。
その人間がしていることは唯の金の移動である。
どこかの誰かの思惑通り、毎日どこかへ知らぬ間に運ばれて行き任務をこなす。
疲れて愚痴っぽくなり家族を求めど、相方も子供もそのうち飽きる。義務感ではないと自分に言い聞かせる。
用意されたソーシャルサービスに金を落とす。
デパート、レジャー施設、ホームセンター、たまにキャバクラ。
空虚な散財、消費の連鎖に勝手な悟りをひらく。
人生こんなもんだ。
でも幸せだ。
一緒にすんな。
嫉妬もすんな。
邪魔をするな。
ただそれだけなのに、暇な人間は他人が気になる。
忙しくて毎日疲れているはずなのに、他人の悪口ばかり。
若者には夢を潰す言葉ばかりを吐きかける。
時間も社会もお金にも向き合わず考える前に、時間を社会に売って換金しているだけの人間が。
時間は自由を担保する知覚のこと。
社会は価値観の相互関係による動きのこと。本体は、無い。
お金はその潤滑油。世界で最も重要で意味を持たない鉱物と紙きれ。
言えますか。
社会人に。
時間とは。社会とは。お金とは。
言えますか。
だから、人生は小中高大就職結婚出産出世ではないと言う。
大学に入って安心していませんか。就職して大人だと勘違いしていませんか。会社で金を稼ぐことがアルバイトと根本的に違うと思っていませんか。後輩が年齢に担保された虚構であると一生気が付かないのではありませんか。
私はきっと変わらない。
今をもって何も変わっていない。
アルバイトを探して働いて、お金を貯めても満足をしない。
達成感は、その遥か向こうに在るから。
表現が、私の一生の仕事だからだ。
私には、もはや日本が失った遠い彼岸に、うすらぼんやりと"何か"がみえる。
始めに断っておくが、私の大学生活は就職を目的としたちゃらんぽらんなバイトと女のケツを追いかけ回すことだけに終始する日本の学生の定義とは別物である。
私の大学生活を端的に言い表すならば、それは「肚」と「覚悟」の二語である。
若者が若者らしく、大人が大人らしく、年配が年配らしく在るのが理想だ。
若者が有り余るエネルギーと情熱をそのままに表現し、それが殺されてしまうなら、本当にこの国はある終焉を迎えつつあるのだろう。
それを見極めるには、自身、命を懸けた覚悟と行いをせねばならんと考え生き抜いた。
無論、同時に自身の若さと大学という恵まれた環境を最大限生かすため、修了後のスピードダウンと環境を一から作らなければならないことによる諸問題を想定したうえでのキャリア作りを念頭に据えていた。
複合的にみて、最終的には社会に負けたというのが、ようやく今になって正直に言える部分である。
私は負けた。
芸術は初期投資。リスクを負わずして未来は無い。若さを担保とした芸術をする。何より、当事者でありたいと強く思った。
全ての日本人に、メディアの食い付かないところで抗う一人の日本人がいることに気付いてほしかった。
日本人はスポーツ選手だけが世界と戦っているわけではないことを、スポーツ選手だけが自分と戦っているわけではないことを、気付いてほしかった。無論、アーティストとはJ-POP歌手だけを指す言葉ではないということも。
人間は表現ができる。
それは猿と類人猿とに別れる際の重要な要素である共感覚に担保されたものだ。
他人に媚びるだけが社会性ではないし、お辞儀の角度が社会性ではない。
大人になるとは冷めた意見を言えるようになることではないし、家族のせいにして自身の怠慢と臆病を言い訳することでもない。
愛するとはお互いに寄り添って支え合うふりをしながらどちらか一方が我慢をすることではないし、考え無しに子供を作ったりむやみやたらに結婚という儀式をするだけのことではない。
そして、人生とは決して小中高大就職結婚出産出世の空虚を指す言葉ではない。
人が生きるということは、そんな空語で表せるようなものではない。
社会は甘くないという人間にかぎって、社会をお金を稼ぐことであると単一的に誤認している。
その人間がしていることは唯の金の移動である。
どこかの誰かの思惑通り、毎日どこかへ知らぬ間に運ばれて行き任務をこなす。
疲れて愚痴っぽくなり家族を求めど、相方も子供もそのうち飽きる。義務感ではないと自分に言い聞かせる。
用意されたソーシャルサービスに金を落とす。
デパート、レジャー施設、ホームセンター、たまにキャバクラ。
空虚な散財、消費の連鎖に勝手な悟りをひらく。
人生こんなもんだ。
でも幸せだ。
一緒にすんな。
嫉妬もすんな。
邪魔をするな。
ただそれだけなのに、暇な人間は他人が気になる。
忙しくて毎日疲れているはずなのに、他人の悪口ばかり。
若者には夢を潰す言葉ばかりを吐きかける。
時間も社会もお金にも向き合わず考える前に、時間を社会に売って換金しているだけの人間が。
時間は自由を担保する知覚のこと。
社会は価値観の相互関係による動きのこと。本体は、無い。
お金はその潤滑油。世界で最も重要で意味を持たない鉱物と紙きれ。
言えますか。
社会人に。
時間とは。社会とは。お金とは。
言えますか。
だから、人生は小中高大就職結婚出産出世ではないと言う。
大学に入って安心していませんか。就職して大人だと勘違いしていませんか。会社で金を稼ぐことがアルバイトと根本的に違うと思っていませんか。後輩が年齢に担保された虚構であると一生気が付かないのではありませんか。
私はきっと変わらない。
今をもって何も変わっていない。
アルバイトを探して働いて、お金を貯めても満足をしない。
達成感は、その遥か向こうに在るから。
表現が、私の一生の仕事だからだ。
私には、もはや日本が失った遠い彼岸に、うすらぼんやりと"何か"がみえる。
2014年2月9日日曜日
都知事選
舛添さん、おめでとう。
支持した人間も選挙に参加しなかった人間も、都民じゃないしと素知らぬ顔をした人間も、景気回復だけを目指して耳を塞いだ人間も、手も出せずにぎゃあぎゃあと喚いてみただけの俺みたいな空虚な人間も、
原発万歳
と言ってみやがれこの野郎。
福島の、想像と共感の範囲を越えた絶望と悲しさを抱えた人間、乗り越えた人間を想像して、言ってみやがれ。
これまでなにも知らず分からずに電力を使ってきたことを、ヘラヘラしながら言ってみやがれ。
家族や国際社会においての国民国家たる日本を言い訳にして、言ってみやがれ。
原発万歳
言えんのか。
作業員前にして言えんのか。
言えんのか。
仮説住宅に住んで時間の過ごし方に困るような生活している人に、言えんのか。
言ってみろよ
原発万歳
原発万歳
原発万歳
言っておくが、俺も同罪だ。
くそったれ。
原発万歳
くそったれっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
支持した人間も選挙に参加しなかった人間も、都民じゃないしと素知らぬ顔をした人間も、景気回復だけを目指して耳を塞いだ人間も、手も出せずにぎゃあぎゃあと喚いてみただけの俺みたいな空虚な人間も、
原発万歳
と言ってみやがれこの野郎。
福島の、想像と共感の範囲を越えた絶望と悲しさを抱えた人間、乗り越えた人間を想像して、言ってみやがれ。
これまでなにも知らず分からずに電力を使ってきたことを、ヘラヘラしながら言ってみやがれ。
家族や国際社会においての国民国家たる日本を言い訳にして、言ってみやがれ。
原発万歳
言えんのか。
作業員前にして言えんのか。
言えんのか。
仮説住宅に住んで時間の過ごし方に困るような生活している人に、言えんのか。
言ってみろよ
原発万歳
原発万歳
原発万歳
言っておくが、俺も同罪だ。
くそったれ。
原発万歳
くそったれっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
2014年2月7日金曜日
そろそろ記念すべき100回目のブログだ。
なんて気がついてみて、2011年当初に遡って自身の記憶からはとっくに失われている文章をいくつか読んでみた。
今よりはるかに読みやすく良い文章を書いている気がする。
俺はサボっているのか。
退化したのか。
愚痴っぽくなってしまったのだろうか。
何かとても大事なものが抜け落ちている気がする。
なんか、自然とか愛みたいなもの。
儒の感覚。
俺はちょっと元気が足りない。
しばらく吐き出してみるとしよう。
きっと何かが見えてくる。
暗闇の嗚咽が呻き声に変わるまで。
よくも分からずブログを"公開"に変えてしまったが、設定をし直す必要がありそうだ。
これを失えば自身の整理がつかないし、公開するなら読む人間に無意味なものにはしたくない。
Facebookも然り、最近ネットがややこしくなってきやがった。
チャンネルを切り替えろ。ギアを確認しろ。タイヤを交換し、オイルをさせ。
全部投げ出して何処かへ行っちまえ。
作品の行き先が決まって友人に金を返してからな。
自ら繋いだぶっ太い鎖が俺の歩みを遅くする。
なんて気がついてみて、2011年当初に遡って自身の記憶からはとっくに失われている文章をいくつか読んでみた。
今よりはるかに読みやすく良い文章を書いている気がする。
俺はサボっているのか。
退化したのか。
愚痴っぽくなってしまったのだろうか。
何かとても大事なものが抜け落ちている気がする。
なんか、自然とか愛みたいなもの。
儒の感覚。
俺はちょっと元気が足りない。
しばらく吐き出してみるとしよう。
きっと何かが見えてくる。
暗闇の嗚咽が呻き声に変わるまで。
よくも分からずブログを"公開"に変えてしまったが、設定をし直す必要がありそうだ。
これを失えば自身の整理がつかないし、公開するなら読む人間に無意味なものにはしたくない。
Facebookも然り、最近ネットがややこしくなってきやがった。
チャンネルを切り替えろ。ギアを確認しろ。タイヤを交換し、オイルをさせ。
全部投げ出して何処かへ行っちまえ。
作品の行き先が決まって友人に金を返してからな。
自ら繋いだぶっ太い鎖が俺の歩みを遅くする。
2014年2月6日木曜日
肉体労働詩
今日の仕事がおわったら、焼き肉を食べよう
今日の仕事がおわったら、頼まれている肖像画を描こう
今日の仕事がおわったら、あの娘に会いに行こう
今日の仕事がおわったら、絶望についてかんがえよう
今日の仕事が終わったら、一番良いと思われる自殺の方法をかんがえよう
今日の仕事が終わったら、美術館にいこう
今日の仕事が終わったら、料理をしよう
今日の仕事が終わったら、あの娘にあやまろう
今日の仕事が終わったら、あの娘に赦してもらおう
今日の仕事が終わったら、とにかくとにかく眠ろう
今日の仕事が終わったら、道端の雑草を心ゆくまで眺めてみたい
今日の仕事が終わったら、もう反省するのをやめよう
今日の仕事が終わったら、寺山修二の本を読もう
今日の仕事が終わったら、
疲れてなにもできやしない
今日の仕事がおわったら、頼まれている肖像画を描こう
今日の仕事がおわったら、あの娘に会いに行こう
今日の仕事がおわったら、絶望についてかんがえよう
今日の仕事が終わったら、一番良いと思われる自殺の方法をかんがえよう
今日の仕事が終わったら、美術館にいこう
今日の仕事が終わったら、料理をしよう
今日の仕事が終わったら、あの娘にあやまろう
今日の仕事が終わったら、あの娘に赦してもらおう
今日の仕事が終わったら、とにかくとにかく眠ろう
今日の仕事が終わったら、道端の雑草を心ゆくまで眺めてみたい
今日の仕事が終わったら、もう反省するのをやめよう
今日の仕事が終わったら、寺山修二の本を読もう
今日の仕事が終わったら、
疲れてなにもできやしない
寒さのせいで湯沸かし器の調子が悪く、いつもより長く風呂に居た。そんな時に限って、重要な何かを思いつく。
日本のデュシャンが村上隆なら、あとは艾未未(アイウェイウェイ)を待つばかり。
もう、クリストでは弱いのだ。フランシス・アリスは希望だけれど、彼は日本じゃない。
美術でも歴史でもないロジックが、ここに在る。
信じる信じないはあなたの中の"あなた"次第。
関係はないが、自身における第三期のテーマが決まった。
記憶の暗号/存在と記憶・時間と蓄積 ー 鼻くそとゴミシール・はじまりとおわりのあいだ ー
より裸になったテーマ決定であり、歴史的現在年としての視座、過去の重要な忘れ物を踏襲するという点ではおそらく一生変わらないが、表現媒体はここで大いに変わるだろう。
私はより、子供になれる。
母性に溢れた美人が必要だ。もちろん冗談だ。
私はまだ孤独を愛するほどに若い。
もう、クリストでは弱いのだ。フランシス・アリスは希望だけれど、彼は日本じゃない。
美術でも歴史でもないロジックが、ここに在る。
信じる信じないはあなたの中の"あなた"次第。
関係はないが、自身における第三期のテーマが決まった。
記憶の暗号/存在と記憶・時間と蓄積 ー 鼻くそとゴミシール・はじまりとおわりのあいだ ー
より裸になったテーマ決定であり、歴史的現在年としての視座、過去の重要な忘れ物を踏襲するという点ではおそらく一生変わらないが、表現媒体はここで大いに変わるだろう。
私はより、子供になれる。
母性に溢れた美人が必要だ。もちろん冗談だ。
私はまだ孤独を愛するほどに若い。
World Problems
世界で共通する現代の問題点の根幹は、お金が何であるかを考える前に、時間を金に換えて生き始めることだ。
それを自立と名付けるのはもっとも質が悪いことである。
まるで金が食べ物そのものと錯覚することは危険だ。
だから金のために人を殺すのだし、満ち足りていれば金ばかりで人生を語るようになる。
資本の論理は金を媒体にした需要と供給であるから分かりやすくて揺るがない、社会の根幹を成すものだ。
かといって、それは生物としての視点でみれば只の鉱物や紙きれにしかならない。
我々と一緒に土へ還ろうとするものだ。
しかしそれでも、揺るがない。
大概の人間は自身の子を育てる時に、自己の肯定を押し付ける。
お金を稼いでやりくりして子育てをしているのにそれが人生かと子供から問われては、もはやそれは自身の世界の崩壊に他ならない。
中心を失うからだ。
自己の肯定を押し付けず、自由を与えてやればよいだけのことなのだがそれはなかなか難しい。
それほどの自信を身に付ける前、モラトリアムな時期に対して社会から終わりの鐘が鳴り響く。
鐘の音を聞いた従順な子供たちは“大人”という名のついたベルトコンベアに乗せられて一定かつ平坦なスピードで暇潰しに奔走しだす。
足は唯々直立不動で目だけキョロキョロ。
そのうち勘違いして世界を悟りだす。
足元が勝手に動いていることすら忘れ、下半身が退化し始めていることさえ気付かずに。
人生とは空虚な暇潰しなのだろうか。
発展途上ならば、食べること。
先進国ならば小中高大就職結婚出産出世。
金金金金..
虚しくしているのは金か意識か。
それを自立と名付けるのはもっとも質が悪いことである。
まるで金が食べ物そのものと錯覚することは危険だ。
だから金のために人を殺すのだし、満ち足りていれば金ばかりで人生を語るようになる。
資本の論理は金を媒体にした需要と供給であるから分かりやすくて揺るがない、社会の根幹を成すものだ。
かといって、それは生物としての視点でみれば只の鉱物や紙きれにしかならない。
我々と一緒に土へ還ろうとするものだ。
しかしそれでも、揺るがない。
大概の人間は自身の子を育てる時に、自己の肯定を押し付ける。
お金を稼いでやりくりして子育てをしているのにそれが人生かと子供から問われては、もはやそれは自身の世界の崩壊に他ならない。
中心を失うからだ。
自己の肯定を押し付けず、自由を与えてやればよいだけのことなのだがそれはなかなか難しい。
それほどの自信を身に付ける前、モラトリアムな時期に対して社会から終わりの鐘が鳴り響く。
鐘の音を聞いた従順な子供たちは“大人”という名のついたベルトコンベアに乗せられて一定かつ平坦なスピードで暇潰しに奔走しだす。
足は唯々直立不動で目だけキョロキョロ。
そのうち勘違いして世界を悟りだす。
足元が勝手に動いていることすら忘れ、下半身が退化し始めていることさえ気付かずに。
人生とは空虚な暇潰しなのだろうか。
発展途上ならば、食べること。
先進国ならば小中高大就職結婚出産出世。
金金金金..
虚しくしているのは金か意識か。
Facebookであげるはずが、取り止めた。理由は身内がコミュニティの根幹に在るからだ。難しいもので、身内は私を橋本仁だとは認識していない。そして、Facebook自体は遠方の身内との連絡手段として始めたのだ。しかし、メディアに向かう私の人格は彼女という歯止めを失ってからは完全に橋本仁に乗っ取られている。アーティストとしての人格も同様だ。かつて彼女が愛してくれた無自覚に担保された私の"部分"は一体今は何処を旅しているのだろう。懐かしむ心さえ何処かへ消えた。
今の日本の一番の課題は大人と子供もしくは成年、青年、若者、まあ、好き勝手言ってくれて構わないのだが、戦後から加速しもはや脳の対応力が追いつかない、つまり身体的時間感覚を逸脱しすぎた近現代史における感覚的な変化がもたらす世代間の断絶、不愉快、拒否、嫉妬、無理解を解消しなければ、施政者の完全な独裁になる。
老害を老害と諦めてはいけない。孤独にし老害化させているのも若者なのだから。
若者が知性を高め目上の人間に真正面からぶつかっていかなければ社会も世界も動かない。
もう40年ほど、日本からそんな空気が抜け落ちている気がする。
せいぜい近い世代の人間だけでも、棘と切れ味を大事にしましょう。
棘は短く強力な毒を持ち、切れ味は触れる前から切断するくらいに。
2014年2月3日月曜日
OUT
日本および日本人の一番アウトなところ。
それは「今更〇〇しても...」と、何もしていないのに尻込みだけはする20代前半の阿呆が多いところ。
これ、完全にアウトです。
自分の正解も見つけていない、その努力さえしてもいないのに正解がどこかにあると思っている。
人生は小中高大就職結婚出産出世であると信じている。
人生も時間も自分のものにしていない。
賃金がお小遣いの延長である。
自分で考えること、学ぶことをとっくに放棄している。
見たくない部分を何処かの誰かになすりつけている。
こんなアホンダラ、うんざりするほど見てきました。
そして一様に彼らは言うのです。「お金が無けりゃ何もできないじゃん」使い途さえ明確でないのにお金が無いと何もできないらしい。
せいぜい食べるだけならそんなに勉学の時間まで削って働く必要はないのでは。
そんなに貧乏ならば奨学金を取れるのでは。
奨学金が勿体ないなら大学へ行く必要なんてないのでは。
せいぜい稼いで既存のサービスに使ってまた時間を金で売る。
若い肉体労働者も一緒である。
キャバクラ風俗ピンサロデビューして煙草吸って酒呑んで、それが社会生活で大人であると思っていませんか。
子供を理由にするならば、愚痴を言ってはいけないし後悔もしてはならない。
それが責任です。
責任も追いきれないのに産むならおろしなさい。
おろすのが残酷だって?
産んでおいて子供不幸にしたら本末転倒でしょ。
避妊もできない。おろすこともできない。育てることさえまともにできない。覚悟がない。責任がとれない。これもまた、アウトです。
それは「今更〇〇しても...」と、何もしていないのに尻込みだけはする20代前半の阿呆が多いところ。
これ、完全にアウトです。
自分の正解も見つけていない、その努力さえしてもいないのに正解がどこかにあると思っている。
人生は小中高大就職結婚出産出世であると信じている。
人生も時間も自分のものにしていない。
賃金がお小遣いの延長である。
自分で考えること、学ぶことをとっくに放棄している。
見たくない部分を何処かの誰かになすりつけている。
こんなアホンダラ、うんざりするほど見てきました。
そして一様に彼らは言うのです。「お金が無けりゃ何もできないじゃん」使い途さえ明確でないのにお金が無いと何もできないらしい。
せいぜい食べるだけならそんなに勉学の時間まで削って働く必要はないのでは。
そんなに貧乏ならば奨学金を取れるのでは。
奨学金が勿体ないなら大学へ行く必要なんてないのでは。
せいぜい稼いで既存のサービスに使ってまた時間を金で売る。
若い肉体労働者も一緒である。
キャバクラ風俗ピンサロデビューして煙草吸って酒呑んで、それが社会生活で大人であると思っていませんか。
子供を理由にするならば、愚痴を言ってはいけないし後悔もしてはならない。
それが責任です。
責任も追いきれないのに産むならおろしなさい。
おろすのが残酷だって?
産んでおいて子供不幸にしたら本末転倒でしょ。
避妊もできない。おろすこともできない。育てることさえまともにできない。覚悟がない。責任がとれない。これもまた、アウトです。
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