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2013年9月18日水曜日

社会とは、倫理と論理のバランスである。

芸術とは、感覚と理念のバランスである。
激烈な強さ。

認めざるをえない孤独。


それらは表裏一体である。
相補性、光と影。
光源の強さに影の濃さは比例し、どちらか一方が消滅することはない。(重箱の隅をつつくような屁理屈を抜きにすれば)

孤独を愛するということは、あらゆる艱難辛苦に寛容になるということだ。
孤独とは意思と選択以上に、己の資質、運命としか言いようがない必然である。


そうして私は敢えて言う。


私は、孤独を愛する。

2013年9月10日火曜日

適当にほっつき歩くと、ふいに取り残された時間と出会うことがある。
この、"モノが時間を体現している"という状況が自己や世界の認識にとても大事なことであって、その感覚が失われていくと"世界"は人間の認識や倫理を失ったものになってしまう。
自身の感覚と社会における、歴史的現在年としての意味。
そこを大事にしているから、現代アートだ!と、言いたいのである。
ARTやARTISTというものは、社会における立派な機能の一部である。
機能とは、目に見えるデータや収益やといった単純なものではない。作用も反作用も機能であるし、むしろ動的平衡や多様性である。そこを忘れる、もしくは否定したくなってしまうから、こんな日本になってしまった。
世界中に嘘と放射能をばらまいて、アメリカの影に隠れて非道徳な行いをする、そんな日本になってしまった。そんな日本にも気がつかず、オリンピック招致にぬか喜びをする骨抜き国民国家を作ってしまった。
"心"いう空語。本当に大事なのは"こころ"であるのに、日本から"こころ"が抜けている。
失った"こころ"を取り戻すため、それぞれの分野にいるそれぞれの人間がそれぞれできる範囲の最大限の努力をすること、それがきっと大きな力を生むと信じている。
目下、私はそれを美術で体現している。