6月11日〜7月13日まで天王洲アートホール(天王洲セントラルタワー1Fロビー)にて東京藝術大学鍛金鍛金研究室の展示に出展しています。
時間は、8時半〜20時まで。
行き方は、天王洲アイル駅からモノレール、りんかい線共に直通。
土日、祝日は休みです。
今回は歴史的現在年としての日本を強く意識し(常に強く意識しているが)、以前からのテーマである存在と記憶・時間と蓄積に現在性として無視できない、原発問題に対しての自分の姿勢を提言したという部分もあります。
しかし、政治的なことには藝術家は限界があると考えるので、あまりに強い政治的な思想の表現というわけではありません。
鏡を人間世界の虚実性とし、水は真実、溶けて溜まった鉄は虚実の虚。しかし毒は毒であるほど言い難い魅力というものがあり、その毒が持つ惹きつける力を溶かして溜めた鉄の質が代弁してくれたらと願う。
毒(原子力)が悪いわけじゃない。それを扱う人間のシステムが良くないのだ。「国」の根幹である政治と教育とメディアが腐敗しきった日本で、これからの我々は如何にして生きていくのか。
私自身、問い続けながら製作していきたいと思う。
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2012年6月15日金曜日
2012年6月2日土曜日
池澤 夏樹著 「春を恨んだりはしない」を読んで
以前、仙台へボランティアへ行った人の言葉を聞いた。
ボランティアにも色々いるし、場所により全てが相当に違う。
それを踏まえた上での話だが、彼らは配給時にもらいに来た被災者らの不遜な態度に愕然とし、淡い怒りを抱いていた。被災者は施しが当たり前であると考えている、と。
心の蟠りと衝撃、所詮は外部の帰るところのある人間、おまえらに何が分かる、しかし、もちろん有り難さもある、それでも何かそこに当たり散らしたいような蟠りを抱えている。その、感情の微妙な卑屈さと被災・被害者であるという受けて側の気持ちと、あまつさえ勿論感謝されるであろうと考えていたことへの裏切りの気持ち。
是でも非でもない。
それが、距離なのだ。
どこにでも距離がある。
距離を埋めようとする者もある。
距離をさらに広げようとする者もある。
東京が被災地になったらどうなるのだろうか。
起こるまでは誰もわからない。
ただおそらく神としか呼ぶことができぬある種の必然は、我々にその無慈悲を突きつけるだろう。
その時、僕やあなたはどうするだろう。
東北を忘れてはいけない。
確かにそうだが、何かそこには無理が潜むような気もする。
行かなければわからない、行くべきだ。
この微妙なズレは何なのだろう。
何も知らずに突如として被災した人達と同情もしくは使命感により動く人達。
繋がっているようで遠い。
しかし、密接な繋がりもよくドキュメントされている。
しかし、一方では醜悪と思われるであろう被災地での諸々の状況もある。
それらはある所である人間が情報を裁量し、取捨選択をする。
その情報の在り方として、政治家や原発やアメリカや韓国や中国や沖縄をめぐるプロパガンダと異なる部分はどこなのか。
震災以前と震災以降では確実に何かが変わっているし、被災地においては尚更だ。
しかし、被災の度合いが少ない地域では何も変わらない。
その距離。
日常の幸せが過ぎ去った後の余韻で胸が痛む。
それが今の日本であるのに、そこの距離がうまく測れない。
南へ下れば阪神淡路の傷痕、さらに下れば沖縄の基地、掘り起こせば日本全土の棄てられし戦争や炭鉱の歴史。
日本は複雑で、人間世界は更に複雑だ。
なぜなら、その複雑怪奇な人間世界が、国というものを作っているから。
国民なるものを作り国民を利用して他の国民を殺すための国民国家。
自然はそれを拒否している。
しかし、それを我々は受け取らない。
恥や苦しみを「無かったこと」にすることで、「忘れた」ことにすることで、表面的に逃げようとする。
何も変わりはしないのに。
あるのはいつも、それぞれの現実だけ。
しかしその見えている現実の影には、想像を絶するような現実も隠されているのだ。
どんな意味にせよそこを想像することは、やはり人間として生まれたからにはそうしなければならない、そうするべきだと思わざるを得ない。
ボランティアにも色々いるし、場所により全てが相当に違う。
それを踏まえた上での話だが、彼らは配給時にもらいに来た被災者らの不遜な態度に愕然とし、淡い怒りを抱いていた。被災者は施しが当たり前であると考えている、と。
心の蟠りと衝撃、所詮は外部の帰るところのある人間、おまえらに何が分かる、しかし、もちろん有り難さもある、それでも何かそこに当たり散らしたいような蟠りを抱えている。その、感情の微妙な卑屈さと被災・被害者であるという受けて側の気持ちと、あまつさえ勿論感謝されるであろうと考えていたことへの裏切りの気持ち。
是でも非でもない。
それが、距離なのだ。
どこにでも距離がある。
距離を埋めようとする者もある。
距離をさらに広げようとする者もある。
東京が被災地になったらどうなるのだろうか。
起こるまでは誰もわからない。
ただおそらく神としか呼ぶことができぬある種の必然は、我々にその無慈悲を突きつけるだろう。
その時、僕やあなたはどうするだろう。
東北を忘れてはいけない。
確かにそうだが、何かそこには無理が潜むような気もする。
行かなければわからない、行くべきだ。
この微妙なズレは何なのだろう。
何も知らずに突如として被災した人達と同情もしくは使命感により動く人達。
繋がっているようで遠い。
しかし、密接な繋がりもよくドキュメントされている。
しかし、一方では醜悪と思われるであろう被災地での諸々の状況もある。
それらはある所である人間が情報を裁量し、取捨選択をする。
その情報の在り方として、政治家や原発やアメリカや韓国や中国や沖縄をめぐるプロパガンダと異なる部分はどこなのか。
震災以前と震災以降では確実に何かが変わっているし、被災地においては尚更だ。
しかし、被災の度合いが少ない地域では何も変わらない。
その距離。
日常の幸せが過ぎ去った後の余韻で胸が痛む。
それが今の日本であるのに、そこの距離がうまく測れない。
南へ下れば阪神淡路の傷痕、さらに下れば沖縄の基地、掘り起こせば日本全土の棄てられし戦争や炭鉱の歴史。
日本は複雑で、人間世界は更に複雑だ。
なぜなら、その複雑怪奇な人間世界が、国というものを作っているから。
国民なるものを作り国民を利用して他の国民を殺すための国民国家。
自然はそれを拒否している。
しかし、それを我々は受け取らない。
恥や苦しみを「無かったこと」にすることで、「忘れた」ことにすることで、表面的に逃げようとする。
何も変わりはしないのに。
あるのはいつも、それぞれの現実だけ。
しかしその見えている現実の影には、想像を絶するような現実も隠されているのだ。
どんな意味にせよそこを想像することは、やはり人間として生まれたからにはそうしなければならない、そうするべきだと思わざるを得ない。
2012年5月1日火曜日
「母型」に際して
私は鉄を鍛いて制作をしてきた。
鍛いていると、武士の剣術修行を想う。
鍛いていると、農民の反復的な生活を想う。
思うに、どちらの精神性もこの風土が育てた精神性として大した差は無いのだ。
私はいつも見えないはずの後ろを想う。
振り返れども何もない。
しかし、それが後ろになった途端に「何か」になる。
それが後ろである。
見えないからこそ起こってくるものがある。
だから、見えないということが重要で、そこを考えるということが、本質を考えるということなのだ。
私の後ろには個人的なものも含め沢山の要素で埋め尽くされているが、中でも大きく横たわっているのが、この土地の風土、日本という風土なのである。
2012年4月28日土曜日
Mother Type -母系-
空間の中のある一点を指し示すために必要な数の座標軸といものがあるように、個というある一点を指し示すために、「必要な数の座標軸」に相当するものがある。それが、存在と記憶・時間と蓄積である。この場合の個とは、人間個人に限られたものではなく目線を変ずれば無数に存在する多義的な意味上での「個」である。「個」とは、時に私個人を表し、時に宇宙を表す。
空間の中のある一点を指し示すことによりその空間が定義されるように、制作を通し個の立脚・確認と共に導き出されたのが、「個」に対しての「全」である。「全」とは、点を包括する空間に相当する。
「全」とは、意識に対しての無意識であり、能動性に対しての受動性であり、強さに対しての弱さであり、可視に対しての不可視である。しかし、「全」ではあまりに漠としたものでありすぎるため、これらを総括し「母型」と呼ぶ。
「全」は全しか表さないが、「母型」ならば我々の内に在る共通世界へと触手を伸ばすことができる。
「全」とは定理の集合体であり、それのみでは議論の対象には大きすぎる。
あくまで我々「人間」のための正しい話をするために、「母型」が必要なのだ。
空間の中のある一点を指し示すことによりその空間が定義されるように、制作を通し個の立脚・確認と共に導き出されたのが、「個」に対しての「全」である。「全」とは、点を包括する空間に相当する。
「全」とは、意識に対しての無意識であり、能動性に対しての受動性であり、強さに対しての弱さであり、可視に対しての不可視である。しかし、「全」ではあまりに漠としたものでありすぎるため、これらを総括し「母型」と呼ぶ。
「全」は全しか表さないが、「母型」ならば我々の内に在る共通世界へと触手を伸ばすことができる。
「全」とは定理の集合体であり、それのみでは議論の対象には大きすぎる。
あくまで我々「人間」のための正しい話をするために、「母型」が必要なのだ。
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