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2015年11月13日金曜日

MEMORY CODEの骨格

世の中が如何に複雑化し情報が氾濫しようとも、本質とは常に揺るがなく数えられるほどしかない。

例えばそれらは物質の最小単位の法則に隠れている。素粒子や遺伝子やダークマターなんてのもまったくそういった類のもので、だから全体は部分からしか語れないなんて言ったりもする。

僕が想いを託すのは"三次元という制約下でしか感知し得ない世界"と"全てに平等に課せられる消滅または死という概念"だ。
世界に三次元以上の次元が存在していることは物理学において既に証明されているが、たとえそれが何十次元であろうと僕らの脳は三次元下における所産であるためそれ以上の次元を感知するのは不可能だ。

だからといって、この制約は制約として忌むべきものではない。むしろ、愛すべきである。そうすればきっと世界を愛せるであろうから。
僕らの感知しうるこの愛しい三次元には時間の経過と堆積、そして酸化などによる消滅または回帰、つまりは死が在る。
死については大前提として僕らも木々も廃棄物も全てが平等に回帰する循環の入り口である。ステンレスだって錆びるのだし、木は朽ちて土に、鉄は母なるマントルへ。
そこにおいては時間の速度こそが固有性に他ならない。有難いことに帰結として避けがたいものが僕らには用意されているのだ。
だから僕の扱う素材には始点と終点が明確に示されるようなものが好ましい。生み出された瞬間から共に歩んでいけるように。

今辿れる奇跡の連鎖の原初は宇宙という奇跡だ。そこから辿れば太陽系から地球、バクテリア、哺乳類、生物の多様な進化(変化)、ヒトの文明、文化、多様な技術革新、そして戦争。
当初はとても大きく美しかった我々の原初はいつの間にか戦争と平和、個人の幸福にすり替えれられてしまう。
僕らは世界を変えることはおそらく殆ど不可能だと思われるのだけれど、もしもこの地球上からヒトという種族が消滅するとき、隣人を恨むような生き物では在りたくない。そう在ってほしくない。
戦争も暴力も妬みも世界から消すことはできないけれど、死ぬその間際、ひいては日常において原初の宇宙に想いを馳せて奇跡の連鎖に感謝や感動ができたなら、少しは世界が良いものに思えるのではないだろうか。
なにもお金を持っている人や社会的成功を収めた人だけが強烈な自負心のもと幸せな死を享受できるわけではない。僕は本気でそう考えている。

時間とお金の不釣り合いな仕組みの市場はあらゆる格差の源泉だ。それはart marketにおいても同様のことが言える。かつて思い込みと豊富な資金のラグジュアリーでセクシーな投資先としてのartをトイレで否定してみせたデュシャンはそれこそartistだった。絵画を極限まで突き詰めたフォンタナも美しい。
彼らの作品は一様に"生き方"だった。そこからは道元や良寛、一休や明恵上人、西行や芭蕉や…そんな数々の本物の偉人たちを想うこともできる。無論、前述のartにおいて強烈な禅境があるかといえばそうではない。しかし、その主張と向き合い方は方向こそ違えどそこに懸かる個人の圧力や強さは同様のものであると考える。

artはそもそも自由に担保された個人的な行いであるから、それがその個人においてartであるならば他者にあれこれという権利は無いのだ。たてまえとしては。しかしマーケットが形成されart worldとなってくると評価基軸が出来上がり他者の価値観の媒体であるmoneyが絡んでくる。
人様の価値を頂くということはわがままばかりも言ってはおれない。望まれるかたちでありながらあくまで自主的な空気で新しそうなことをいったりやったりしなければならなくなる。価値の媒体物をより多く所有している人達の気に入るように。そうなると、artistはただの製造業になる。artが最強の商品であるといわれる所以である。
そこにおけるモラルの是正は一体誰に可能であるか。会社や社会のモラルは労働者や市民が担っている。話は逸れるが、それを政治家や社長だと思うひとが多いのが日本の現状である。だから主体性のない市民で構成される日本は残念ながらお先真っ暗なのである。話を戻そう。art worldにおける労働者や市民にあたる存在は誰か。無論、製造元であるartistである。artist自身が危機意識を持ってモラルの改善に努めなければ、いつしかパーティールームから夜景を見て格差に目の届かない魑魅魍魎と同じ地平に立つ者となってしまう。いや、既になっている。

かつて道元は言った、学究の徒は貧なるべしと。なにもお金を憎めというのではない。ただ、あんまりにも成功や金持ちなんかという価値観が氾濫しすぎていて、社会がそうはなってもartはそうあってほしくない、あるべきではないと思うのである。こんな生き方があってもいい、むしろそれが救いだと思えるようなもの、インドのサドゥーがそれにあたるか。個人的にはartはそうであって、そうであってほしいものなのだ。

どっかの有名人ではないのだから、こんな大それて自意識過剰や誇大妄想と捉えられるような発言を日本語でするべきではないのだろうが、敢えて記しておきたかった。自戒を込めて。
10年後も20年後もお金に縁はないかもしれないけれど、先人諸師に恥じないような心でいたいと切に願う。





2015年11月1日日曜日

気がつきにくい日々の高速な変化は極めて邪悪に満ちている(という題にアレルギー反応を起こすのが"反知性主義"と言われる人達である)

誰も読まないであろうBlog、久々の更新である。

個人的にも世間的にも矢継ぎ早に色々なことが起きたため、考える時間が必要だった。
個人的には、4年間申請をし続けてきた南アフリカへの留学が語学力不足のために断念せざるをえなくなった。これは大きな挫折である。
作品については、新たな手法に辿り着きこれからに期待が持てる。目下制作中であり久々に全身全霊を懸けた作品が出来上がるため、然るべき発表の場も用意しなければならない。
英語の習得は来年フィリピンで行うことにした。期間は4ヶ月~6ヶ月。その前にサイト内における作品のアップロードと新しいポートフォリオの作成をしなければならない。今回は打ち合わせのためフランスへ行く必要があるだろう。
と、個人的な事柄は文字にしてみればざっとこんなものである。
あったはずの葛藤も逡巡も喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまった。

しかし、社会的な事柄についてはそうはいかない。秘密保護法、安保法制、辺野古基地建設、国家戦略特区、シリアの難民受け入れ、マイナンバー制度導入、TPP...

本来、時間をかけて市民への理解を求めていかなければならない重要な事柄が目まぐるしい速度で矢継ぎ早に、そして乱暴に民意を無視しながら決定されていく。

国家はもとより人間はどこへ向かおうとしているのか。
誰もが避けようとしながら呪いの渦に巻き込まれていった先の大戦のように、我々は少しずつ三度目の地獄に歩み寄っているのだろうか。

全てに共通して言えるのは、民衆の不勉強のために民主主義が悪用されていることだ。
政府お抱え主要メディアの提供する賛成か反対の二元論に惑わされ、自身で考えることをせず根本を捉えられない多数派が作り出す現状は、社会の思考停止=民主主義の崩壊を招いている。
これだけ高速にしかも民衆にとってはあまり嬉しくない法案が可決されまくるのは、民衆による個々の生活と給料以外への無関心と他者の気持ちを理解しようとさえ思わない政治家二世、三世のぼんくらが無意識に強力なタッグを組んでいるからだ。

広がる一方の格差は国内に留まらず世界的な問題だ。
所得格差は教育格差を生み出し階級意識を育む。 階級意識は選民意識を生み出し差別を育む。
走り出しから暗雲の立ちこめるオリンピック後に予想される空虚な社会は、不法を含める移民だらけのなか税金と介護に追われる神経症の大人達で溢れ、暗く淀んだ空気に包まれたものになるだろう。

興味深い統計がある。
"もうこれ以上良くならない"という空気の時代ほど民衆の幸福度は上がるというのだ。理屈としては、"もうこれ以上良くならない"ため、希望という餌がない。希望もないので、欲もない。欲がないので、まぁ今が幸せかな。と、思うらしい。

思わず笑ってしまったが、どうやら本気でそういった統計がでるらしい。
しかし、落ち込んでいく時代の空気に抗いたいという希望はないものなのだろうか。

例えば民主主義の希望は、我々の意志が社会を造るのだ!という希望であるというように。

なにも可決された法案の全てに断固拒否の気分があるわけではない。
肯定的な目線で捉えれば、秘密保護法にしろハッキング技術の進歩に合わせ脆弱な国家の機密情報を扱う情報管理の根本的な見直しが必要であったことは事実であるし、安保法制にしても辺野古基地建設と合わせて日米地位協定の見直しをするには、自国の安全と世界の平和を踏まえた新たな安全保障政策を再考しなければならない。シリアの難民受け入れについても、戦犯国のレッテルを剥がして世界国家たる国連に認めてもらいたいのであれば、受け入れの方向で考えながら如何に日本の雇用、治安、文化、習俗を護っていくのかということに向き合わなければならない。TPP、国家戦略特区においてもそれはほぼ同様のことがいえる。如何にイニシアチブをとりながら諸外国との協力関係を築いていくかが、国内の政治家の足の引っ張り合いばかりで外交下手の日本にとっては永遠の課題だ。
しかし、マイナンバー制度の導入については管理コストの削減を頭に掲げているが、残念ながら私にはただの温室育ちで無能無智なぼんくらが考え出した管理欲の具現化のようにしか感じられない。確かシステム投資に3千万の血税が当てがわれたのではなかったか。財務省からの発案だとどこかで聞いたが、発案者が政治に不可欠な巨視的な視座を持っているとすれば、流動性と多様性を失わせる過度な管理体制は益々市民の財布の紐を固くし経済の流動性を滞らせることになるだろうことに気がつかないはずがない。民衆から財源を絞り出すことばかりに悪知恵を働かせる前に、税収がいくら増えても使途不明金やおもいやり予算という名の対米軍事献金ばかりが増えるだけの悪習を見直す必要があるだろう。集団的な個別合理性が集団合理性においてマイナスにはたらくのは先の太平洋戦争で十分に反省できたのではなかったのだろうか?

いや、思うに江戸時代の封建性を明治維新によって国民国家へと移行し、社会主義的な形へとエスカレートしていった異胎の国は、民衆にとっては只々恐ろしい地獄の門番のようでしかなかったのではないだろうか。そうだとすれば、敗戦は実は多くの民衆にとって"解放"であったかもしれない。敗戦後あまりにすんなりと受け入れ、憧れさえ抱いた米国への不思議な感情は彼らが憎むべき鬼畜ではなく、むしろ自分達を統制していた軍国主義ベースの国家こそが真の迫害者であったということを即座に理解したか、感覚的には既に分かっていたからではないだろうか。

だとすれば、やはり歴史は繰り返す。
何故なら、明治維新政府こそがそれまでの幕府から解放された喜びと気負いに溢れた政府であったからだ。
彼らは次第に派閥化していき結果的に退っ引きならない状況を自ら招き、敗戦を迎え民衆を解放すると共に後世に戦犯国のレッテルを引き継がせたのだといえる。
戦後によって民衆が解放され米国と互すことを目標に戦後復興をがむしゃらに目指して成長してきた日本の姿はそのまま明治維新後の日本に当てはまる。散切り頭を叩いてみれば~♪と歌った明治の庶民は、その後に訪れる地獄の昭和を想像だにしなかったろう。

戦後は70年を迎えた。
米国ではそのような数え方はしないというが、米国ばかりををスタンダードだと考えそれに合わせたくなる気持ちは理解ができない。
国土が焦土と化した記憶や今も沖縄に燻り続ける"戦後"は、我々にとっては今だ現在進行形のものであるはずだ。少なくとも私にとってはそうである。
太平洋戦争の原因の一つには、不況による市民のネガティブなストレスもあげられる。
暗い見通しばかりの現在の日本は、いや、行き詰まりの相を呈する現在の世界は、果たして戦争というリセットボタンを押さずにこの暗澹たる局面を乗り越えることができるだろうか。

いやな仮定だが、もし新たな大戦があるとすれば次は中東、中国、米、露が主役となるだろう。
米中露が睨み合えば、間違いなく日本は最前線の戦場だ。しかし、その可能性は極めて低い。どうやら鍵を握るのは中東の動向となる。
そこまでは私の範疇ではないが、注視していくべきだろう。

まったく面倒で複雑怪奇な世の中である。これに加えて反知性主義という分厚く馬鹿らしい壁が在る。
私はこの時代に生まれたことを必然と捉え、本質を見失わずに、負を引き受けながら、淡々と日々を重ね記憶の暗号を更新していく。

やがて朽ち果て消えていく魂の夢をみながら。





2015年6月19日金曜日

梅雨空に 皮肉な気分の 雲間かな

NHKの偏向放送は既に周知の事実である、と私は勝手に思っている。
NHKは公共放送である。私達の受信料を元に運営されている。すなわち、国民一人一人が出資者なのであり国民のごく限られた少数である政治家の意向をアンフェアに反映させた現在の偏向放送はまったく正当なジャーナリズムを踏襲していない政府のお抱え放送局であるといえる。

は?いったい何が?と思う人間は私の予想を反してかなり多いことだろうと思われる。無論、NHKの番組にはとても質の良いものもあることは承知している。しかしそれは数々の会議と編集を経て、現政権の地盤に影響がないかあわよくば好印象を与えるものであるかが徹底的に精査されたのちに、予算を組むことができ番組の質をあげることができたという極めて偏向的な結果なのである。
それでも、うるさいな。番組が良ければそれでいーじゃん。どこにでもいるよね。こういう重箱の隅をつつく人。という人もいるだろう。その多様性こそが大事なのではあるが、まったく無知と勢いは権益と原子力ほどに相性が悪い。もしくは負としての最高な相性の良さを秘めている。
そんな人のためにフレッシュな情報をひとつ。

集団的自衛権について政府与党が選んだ法学者によってそれが違憲であるとの見解が発表されたことは今まさにホットな話題だろう。たぶん、後藤真希の妊娠報道、もしくは榎木孝明の絶食くらいには。そんな中、今日たまたま見ていた放送では違憲とするという発表の事実は前提としながらもその言説はまったく示されず、新たに指名された違憲でないとする日大と慶応の学者が宣った内容だけはわざわざテロップ付きで報道されていた。本来なら記者からの鋭い質問の一つでもあったのではないかと思われるのだが、そんなことをする"公共"放送ではない。
ここには明白かつ意図的な情報の取捨選択と編集がおこなわれている。何も知らない、分からない人がみれば、完全に違憲だと言っている人間がそのまま多数決原理の中でも少数派であり、合憲という人間が多数派であるという勝手な意訳を促すことは間違いないだろうと思われた。

考えすぎならそれでいいと、むしろ望む。その方が世界は幸せだ。強迫観念ならば個人の中で行われているだけで、世界はまっく清々しいものなのだから。

こういった放送はTVを見ていれば腐るほど目にするものだと思うが、果たしてその感度は総体的なものであるのだろうか。見た時にはこんな子供騙し…と思っていれば、沖縄の基地問題に関しても、基地はおかなければいけないんだから何を騒いでんのと平然と発言する人も少なくない。反対の意見というか事実については述べなければならないことがあまりに多いので、ここでは割愛する。興味のある人は「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」や、「もうひとつの核なき世界」「ルポ貧困大国アメリカ」などを読まれると良いのではないかと思う。無論それとて人によってはこれこそプロパガンダという人もいるのだろう。やはり、それも多様性だ。

多様性を認めるということは、時として非常に自身の気分を害する事実を認めなければならないということでもある。そんなストレスは政治家でなくたって基本的には誰だって嫌なものなのだ。誰だって避けたいものなのだ。だからこそ、歴史上で政治に熱い思いを抱く者ほど独裁を敷きたがりやがては差別と格差を蔓延させ国家の崩壊を招くのだ。
犯罪者も独裁者も、IQが高かったり優等生であったという決して稀ではない事実を忘れてはならない。世の中で"まとも"だと思われている人間ほど、想像もつかないような残酷な悪事をはたらくものなのだ。

しかし、まんまと騙されてしまう方も阿保ならば、そんなことで騙しきれると考えている方も阿保である。阿保が阿保見て阿保に死ぬ。つまりは、馬鹿が馬鹿な情報を鵜呑みにして馬鹿を育てて無知のままに死んでいく。ということだ。
反知性主義の日本とかも言われているが、とかく一億総じて馬鹿ばかり。一億一心火の玉だ。恐れなくして死に進む。戦後新たな天晴れ帝国に、うん、幸あれ。ば?かな。





2015年6月18日木曜日

From danger world ー 危ない世界で ー

おそらくここ50年は論議されるであろう食品添加物や人体への有害物質の値。これらは基本的に隠蔽される。気がついて声をあげる人間は場所をわきまえなければ、ほぼ間違いなく白眼視されることだろう。
世界経済は無知による死を陰ながら推奨している。米国などでは高価な薬や医療が製薬会社や保険会社によってたいへん有効な投資アイテムとして生命格差を助長している。しかし、それについては金銭利益による手放しがたい"幸せ"を享受する少数の特権者がいる限り、全ての警告や訴えは共産主義や新興宗教の狂信者などとして糾弾され霧散することになるだろう。

病や死が逆説的に救いを商品化する世界では、それを助長する原理は悪とはならない。

これでも言っていることが難しいといわれてしまうのだろうか。正義の天界と悪の地獄として二元的に世界を分かつ宗教的価値観はその教義において世界を救うことに失敗をし続けている。なぜなら、その根本に非常に排他的な選民原理がはたらいているからであるにもかかわらず、自らが正義であるということを決して疑ったりしてはならないと思い込んでいるからだ。

病巣は意外に深く根強いものだと、どれだけ理解されるだろうか。
日本人として恥ずかしながら、世界の中で相当に時代遅れかつゴミのような教育環境は改善されないまま、選挙権が18歳以上に引き下げられた。
今すぐ効果は得られないまでも、いずれ高校卒業と選挙投票はセットで語られる日がくるでしょう。これは政府が完全に国民を馬鹿にし、未成年をオタマジャクシ以下であると舐めきった結果の法律的幸運です。この幸運を如何に生かしきることができるか、それはそれぞれの家庭、僕ら若い世代の意識と行動次第であるということは間違いないだろう。

官と民が完全に乖離した、くそったれのニセ国民国家。

そこからスタートを切る他ないから、日本人は世界の舞台において四面楚歌に強いのだろう。反面、だからこそ明治維新このかた日本の官僚はいつも慌てている。自分たちの管理下にあるはずのゴミ共が何故か世界の舞台で評価されたりしてしまうからだ。
欧米の白人主義は現在でも全く変わることなく有色人種を侮蔑している。パーセンテージではなく、それはまぎれもない事実だ。黄色い肌と扁平な顔面を持ってしまった以上、我々は醜い招かれざる客であるということを、不都合な真実として自認しておかなければならない。

しかし、だからといってどうということはない。
ガンジーが言ったように、私がやることに意味はないがやらねばならないし、それは誰のためでもない、私が政治や社会に変えられないようにするためにやらねばならないというだけのことだから。

いつもの原理。やるべきことをやる。ただ、それだけ。









2015年6月17日水曜日

英訳用 論文;Memory Code

2015年6月、今現在までごく小規模な旅行や留学を除いて私は日本で生まれ、現在まで育ち、生きてきました。
英語のLIFEは、日本語では"人生"と訳されます。人生は JINSEI と発音します。JINSEIはJIN(人)とSEI(生)という二つのパートに別れます。漢字は一語でその意味を表します。"人"(JIN)は人間のことを、"生"(SEI)は生きるということを表します。合わせて、"人が生きる"という意味を表す漢字になります。
日本では国民の三大義務として勤労・教育・納税が据えられています。即ち、日本においての"人が生きる"ということは、学び、働き、税金を納めるということです。少々の意訳になるかもしれませんが、これは本来他の動物に比べて集団による社会を形成し食べて寝る以外での生き方の選択を成しうることが人間を人間たらしめている特徴だとすれば、本来我々が持っている"自由"を自らを保証するはずの機構としての社会に拘束され奪われているというパラドックスの中に我々が囚われいるということができます。この場合、本来それぞれが他者を支え合いながら保証し生の自由を享受することができる人間の生とは、紋切り型の小中高大就職結婚出産出世というボードゲームのようなものとして限定されています。
ちなみに英語のFreedomは日本語では"自由"と訳され JIYUU と発音します。これも二つのパートに別れ、"自"(JI)と"由"(YUU)それぞれに意味があります。そもそも"自由"とは仏教用語であり、"自"は己を指し、"由"は理由や趣旨、方法や手段のほかに体裁、体裁をつくること、表面にあらわれた様子などの意味があります。つまり、"自らをもって由とする"=自らによって体裁、方法、顕れるかたちを決めるという自己責任観の強い規範的な意がこめられています。
これは、英語のFreedomとは少し主とする意が異なります。英語のFreedomは、主に非拘束性と自己の解放という意があり、規範的な意味は感じられません。無論、結果的にそこには同じく自己責任は伴いますが、自由な行いにまず釘をさすようなことは良くないことと感じられるのではないでしょうか。
生きることの選択の自由は必然的に現在よりも質の高い生活を求めることを促します。そして、それは少なからず他者との比較を孕んだものとなるでしょう。これらはしばしば向上心といわれますが、教育的格差により取り残され地域を超えた世界を知らずに飢餓や貧困に喘ぐ人々は向上心旺盛なグローバルマネー渦巻く世界経済や国家の中でどのように扱われるのでしょうか。
世界基準で見てもあらゆる分野における格差は深刻な広がりを見せていますが、ここでは私達日本人にとって身近なものを取り上げたいと思います。まず私の住む日本においての深刻な問題は少子高齢化社会と憲法9条をめぐる自衛の範囲の問題です。憲法9条については第二次世界大戦以降、武力放棄と戦争への不参加を憲法によって遵守してきた日本の安全保障問題の根幹を揺るがす大問題です。少子高齢化社会については第二次世界大戦以降の小康的平和を足掛かりに一斉にスタートを切った年老いた先進国において共通の深刻な社会問題です。日本はこれまで厳しい移民政策をとってきましたが、近年では少子高齢化と諸外国からの圧力により相当の緩和が進められています。まだ規模は小さいものの外国人に対しての排斥運動などもでてきましたし、世界的に見られる移民問題もこれから深刻化してくるでしょう。一方、国家間の安全保障を含めた数々の条約により日本側が隷属的とも言える紐帯を結ぶアメリカでも格差と差別は銃社会と結びつくことによって極端な思想の形成や凶悪な犯罪と差別意識を深刻化させています。近年ではオバマケアという国民皆保険制度が注目されていますが、制度自体は一見して良いもののようにみえるようにパッケージングされながら、内実は国家の搾取と製薬会社を筆頭に投資家のマネーゲームとして国民が搾り取られる機構となっており、一部の富裕層のみが高級な医療を受けられるという差別的な構造が相当な生命的格差を生み出しています。
これらの問題はなにも日本とアメリカについてのみいえることではなく、世界中で抱えられている早急に対処すべき近代国家の淀みといえるでしょう。しかし、だからといって世界中でおこなわれている市民ボランティアや宗教団体やNPOによる救済支援や活動などを無視することはできません。偏らず、冷静に考えを進めていくことが肝心です。前述してきたように、問題の根幹として横たわるのは各分野における人間としての在り方や対処の仕方、教育による自由における責任や道徳や倫理の形成、つまり総体として一人一人の意識であると私はみています。個々の意識を形成していく上で最も大事なことは、個と他を相対的に捉え個の認識を生み出す以前に、私達が国民国家以前のただの"場"における自然的生成物としての"人間"あるということへの認識です。その土地の気候風土により育まれた固有の生態系と同じように生成された固有の文化や価値観が、固有の気候風土により形成されうる自己を顕現しているのです。つまり、英語における"Freedom"により開放されると考えられる"自己の本性"とは個の遺伝子コードに記憶された"場の記憶"であると考えられます。ということは、私達は私達である以前に未生の存在としての情報高分子なのです。
情報高分子についてもう少し詳細な解説をすれば、地球上に生命が誕生したのは約40億年前といわれています。その前の48億年前後に地球は太陽系の一員として自立を果たし、定説ではそこに宇宙から生命の種子が降り注ぎました。地球生命の誕生は大まかにオゾン層や大気を生成する大気の還元性といわれる総体として"大気の変換"、太陽や雷撃や火山活動による援助を得たうえでの"エネルギーの獲得"、アミノ酸などの生成による"分子の形成"、ポリマーの成熟による"吸着と集合"、核酸の活躍による"情報の保存"といった5段階の条件を満たしながら準備を整えます。ここでは煩瑣を避けるため5段階目の"情報の保存"だけに注目します。ここでの主役はつまり、生命の基本であるDNAです。既にできあがりつつあった生体高分子が自らの情報を保存するのに一番確実な方法は、情報の転写のできる自己複製能力をもつことでした。保存には核酸が主役となります。現在知られている地球上の生命はすべて核酸によって自らの情報を保存しています。このことがつまり核酸の一つであるDNAが遺伝情報を保存し、それをもう一つの核酸RNAに転写して自己複製の舞台をつくるという、遺伝分子学の有名なプロセスです。セントラル・ドグマともいわれています。こうして生命は情報高分子としてのスタートを切ったのでした。
つまり私達がそもそも私達以前であるように、あたかも個々が対峙しているかのような現在とは歴史的現在年としての今であり、人類の歴史の中で見られる反復性は過去を既に起きた未来として捉え、未来をまだ起きぬ過去としての曼荼羅的な輪廻の世界観を示唆しています。私達の、そして子供達の未来を考えるということは在るべき形としての未来を考えるために、原点回帰としての思想を必要としています。私達が私達以前として保有する"場の記憶"は、私達の本来を気付かせてくれるための重要なきっかけなのです。例えば、現代に生きる私達の意識上において生命の根幹とさえいえる立ち位置を獲得したお金。お金はそもそも異なる価値観を持った人間同士の相互軋轢を解消するために考案された共通価値としての媒体物でした。そういった意味でもお金は現金として可視化すれば依然としてただの紙切れと鉱物であり、可視化しなければ実体のない、がしかし強力で強大な価値の媒体物なのです。現代に生きる私達にとって、お金とは生きるうえで最も重要で最もどうでもいい無意味なものなのです。このパラドックスこそが、私達が資本主義経済の中で無意識的に落ち込んでしまう格差の温床となっていることを、私達の意識に留めておかなければならないと考えます。私達は私達のより善き未来のために、労働と努力への正当な評価を求めて生み出されたであろう資本主義経済機構に意識と身体性を組み込み再構築をはかることが重要であると考え、私はArtistとなり作品を通して社会に提言していきたいと望みます。

私の作品は自らにより一貫して全て身体的で鍾乳石に見られるような蓄積を根幹として制作されています。それは自己の信念と意識によって主体的に生み出された現象の蓄積ということができます。これらの蓄積物は自身の総合的な判断により取捨選択され、最も自身の思想に適したかたちとして現れます。具体的には物質の溶融、磨耗、掘削などによる形質変化によって平面や立体などのかたちをとり作品となるのです。
私の作品の制作プロセスは設計図から起こされた平面や立体でもなければ、ただ感情によってのみ生み出される自己表現というかたちもとりません。最低限の取捨選択のみを施した、生命のうちの一つである"私"のただの結果にすぎません。それは全ての因果の結果として表出される現在という時間軸と同等のものであると考えます。宇宙の結果としての地球のように、big bangの結果としての宇宙のように。そもそも宇宙の原初と考えられているbig bang自体がきっと何かしらの結果であるのでしょう。
一つの砂粒が存在するには一つの宇宙が必要なのです。まずはこれまでとこれからに対して性急に二元論的な是非を決定してしまう前に、この愛しい原初を感じ取り在るべき今と未来に思いを巡らせてみたら如何でしょうか。
結局のところ人類が求めるところはシンプルなものだと考えます。それは"自然環境と天然資源の公正な管理"と"利益の公正な再分配"、そして"平和"です。しかし、そもそも原初からこの世界は理不尽な悲しみに満ち溢れています。その理不尽な世界と戦うために人間は宗教を設定し社会をつくり助け合ってきました。人類の未来のために飢餓、病気、貧困、暴力、差別、戦争、自然災害などの問題に本腰を入れて取り組むためには、人類社会はそろそろ一つになるべきではないでしょうか。
方法として異なる文化を無理矢理に侵略、収奪、統合するのではなく、多様性を基盤としてそれらは進められなければなりません。増え続ける人口を養うために耕作地を広げ、豊かさを求め石油を掘り鉱山を掘り固有の生態系を破壊しながら資源と土地を巡る争いを続けているようでは、とうてい上記の"シンプルな望み"はかないません。地球上で自然保護地域の面積が年々減少し続けているなか、民族や人種間の憎悪の根底にはこのように資源と土地の奪い合いがあると考えられます。資源が欲しい一部の貪欲な人達はその奪い合いをコントロールできると信じ、時に焚き付け時に押さえ込み漁夫の利を得ようとした結果、世界中に領土として手の施しようがない"道を誤った国家"を生んでしまいました。そんな理不
尽に晒され続けた地域の人達の敵は"病気"と"貧困"です。しかしそれは理不尽に晒され続けた地域だけの問題ではなく、見渡せば世界中が同じ脆さを抱えていることが分かります。先進国の20世紀の近代化とは、一概には言えないながらも事実として差別と搾取によって得られた"豊かさ"であるということからは、目をそらすことはできないと考えます。
しかし、だからといってなにも領土を解体し豊かさを捨て科学技術やインターネットなどの文明を捨て去ることを推奨しようというのではありません。一人一人ができうる限り、人間としての本来的な在り方を生命的な記憶をたよりに模索し、紋切り型の意識や価値観、既に選択され切り取られ流布された情報に惑わされずに、自身を取り巻く世界について今一度真摯に向き合うことが必要であると私は思うのです。
かつての人間が丁寧な自然観察を通して文明や哲学や宗教や社会を形成し、その中で精神規範や行動規範を培ってきたように、新しい世界を個々で考え抜くこと、自身の生活や国家に捉われず世界の、地球の、宇宙への意識を持つことが、21世紀の初頭に生きる我々の現在的な責任なのではないでしょうか。

2015年6月8日月曜日

はじまりから5年。現在のMemory Code(記憶の暗号)

この脳だって身体だって遺伝子だって、僕らはみんな記憶の運びやなのだ。
だから人間は太古から記憶を感知することができていたのだし、小さな石ころから宇宙の原始に想いを馳せた。ただ、いまの僕らはいささかその美しい能力を忘れてしまっているだけ。
僕らの中に在るどうしようもなく愛しいもの。それは、"場の記憶"。たとえば僕やあなたがこの場に発生したという奇跡と事実。日本も日本人もない、国民国家以前の遠い遠い場の記憶。

記憶は僕らがいつもエネルギー媒体を口から入れておしりから出しているように、僕らの身体を使って融合し咀嚼され、あらたな記憶を紡ぎだす。記憶にも相性はあるのだし、どんな記憶とでも合わさることができるわけじゃない。顔や形や嗜好はたまたま記憶が宿った身体がそうだっただけ。表面的な事象は現代で信じられているほど本質的な意味を持たない。だから、本当なら整形だってエステだって必要ない。そして迷うことなく、愛は信じていいものだ。それは本質に対しての心の感応だから。受け取って、与えて、感謝をする、人間が持っている愛しい感応の一つなのだ。

記憶を感じられるということは、暇だとすぐに管理をして破壊と戦争ばかりをしたがる愚かな人間達の唯一の救いだと僕は思う。
破壊や戦争はただ、脳だけを信じて脳だけを通して世界を限定させてしまっている、我々の不憫な結果だ。それらは常に僕らにとって不都合な真実を孕むものだけれど、我々以前に宿る記憶は只々連面と静かに紡がれ誰にも何にも不都合などは生じない。そういう類のものじゃない。

感情は身体からやってくるもの。脳は感知をして連想をし想像をし記憶するもの。視覚や聴覚だけに頼ってはいけない。風や土の香りをかいで触れてみる。記憶を感じて味わってみる。
そうしたらきっと、心の奥底でずっと探していたものが、その寂しさの根源が、うっすらと、ぼんやりと、顕れてくれるかもしれない。
だから僕は記憶をつくる。せっせせっせと記憶をつくる。

いつしか忘れられてしまった、世界を包みこむあなたをさがして。



追記として;

記録は具体的な記録の意図を持って記された二次的な資料。記憶は総体的で抽象的で思いや感情が反映される意識の夢。





2015年5月27日水曜日

世界の嘆きをふと仰ぐ

 今日もいつもの西武線。乗りなれた電車で老人に席を譲ったりしながら池澤夏樹の「ハワイイ紀行」を読んでいた。池澤夏樹の文体は好きで、いつも読み始めからスゥっと入ることができ著者による知識の多様さが自身の勉強にもなる。こうして良いものに触れていれば、目の前に立つ老人に席を譲りたい気持ちにもなるものだし、何より根拠のない余裕を持つことができると私は考えている。
徳というものはリターンを考えずに積まれるものであり、およそ金銭を主体としては実現しづらいものである。この場合、主体が金銭では無償性は難しいというだけで、思いもよらない相互贈与により得られたものに金銭的価値が無いかもしくはつけられないといったものではない。

最近のことで例をとれば、以前から並々ならぬ親切と支援と応援を頂いている表参道の美容室Overland代表 伊佐氏から作品の購入のご要望を頂いた。私は伊佐氏との間柄の中で金銭のやり取りはなるべくしたくないと考えているので、(直裁にいえば、金銭のやり取りなんざクソ面白くもない。そんなもんが曲がりなりにも好きだという人間を私は絶対に心から好きにはなれない。)何かしらの心のこもった対価のやり取りをさせて頂きたいと答えさせてもらった。無論、私は心底貧乏である。お金は喉から手がでるほど欲しいと思う。ARTだけをやっていたい。デートの際、女の子にかっこよく何でも好きなように奢ったりしたいものだ。しかし、それでも私は尊敬する伊佐氏との間柄をお金で汚したいとは思わないのだ。もちろんお金自体には綺麗も汚いも無いだろう。ただの価値の媒体である。故にお金を肯定するのも否定するのも簡単だ。しかし、植民地主義などにおける大国から小国への一方的かつ大規模な文化の廃絶や土地や資源の収奪などをみれば分かりやすいように、お金にまつわる歴史はべっとりと血塗られている。それは間違いなく現在の高層ビルから見る夜景や夜毎狂乱に耽るセレブパーティなどの影に潜む、忌むべき穢れであると私は思うのだ。
そのために、私は伊佐氏との間柄を私の考える健全さとしてこれからも保っていきたいと望んだのだ。そして先日、もう何度目かになるOverland合宿の際にそのお答えを伺わせて頂いた。そのお応えはなんとも懐の大きい破格の申し出であった。なんと私の髪の毛の管理を一生涯無料で保証してくれるというものだった。髪はのびる。切らねばならない。無論、自分自身で切る人間もいれば伸びる毎に男らしくバリカンを入れる者もあるが、特に伊坂氏の持つ美容師としての技術と経験は得難いものであり、やはりそれを体感できるというのは私にとっては一つの素晴らしい体験とリラクゼーションであるということは間違いない。それをなんと無料でおこなって頂けるのだ。一生涯。こんな幸せな、有難い申し出が他にあるだろうか。前述のとおりこれは金銭的に言っても余りあることである。
このように、金に目が眩んだり社会に変えられてしまった人間には値段以上の対価というものは手に入らない。そうしたことを"知る"ということが本来の"学び"なのである。徳は心を保っていなければ決して積むことはできない。心は良きものや善きものに触れれば触れている分だけ清廉潔白に保つことができるのだ。

そうして私にとっての良きものとして池澤夏樹の「ハワイイ紀行」を読んでいたところ、ふと背後から鋭い舌打ちが聞こえる。しかしこれはよくあることなのだが、何故か夕方の電車に乗っている初老の男というものは意味もなく舌打ちをしたりするものなので、それもその類だろうと特に気にもとめなかった。しかし再度鋭い舌打ちが続けて発せられると、さすがに何か険悪なものを感じ音の発生源の方向を振り向いた。瞬間、物凄い憎悪の視線を目の端に捉えた。色白の髪の美しい女子高生だった。しかし、その綺麗な切れ長の目は残念なほど醜い怒りに染まっていた。怒りはその女子高生と背中合わせに立つ高齢の女性に向けられていた。舌打ちをし、睨み、その女子高生は「死ね」と聞こえるように呟きまた舌打ちを老婆にむかって繰り返していた。決して外見からしてそのような激しい行動を頻繁におこなうように見える娘ではないように私には思えたのだが、確かかと言われればジロジロと見たわけではないので断定はできない。大して混み合ってはいない、まだ帰宅ラッシュ前の車中である。何があったにせよ、老婆に舌打ちを繰り返し死ねというほどのことがありうるとも思えない。おまけに降りる時までわざわざ睨みつけながら降りていったのだ。これは尋常ではない憎悪と恨みである。これは"加害者による意図的な被害"が無ければ誘引されない負の感情である。事実確認無しでは立ち入った推測をすることはできないが、いかにも心貧しい現代の日本を見た心持ちであった。たまたま性悪な娘をみただけで現代を論じるなと言われればそれもそうであろう。反論する気は無い。しかし、昨今の心貧しく感じられる殺伐とした出来事の数々と此度の娘の所業はどこか繋がるものがあり、根を同じくしたものではないだろうかと私は思うのだ。

人心の荒廃といえば安っぽいが、昨今ますます著しく若年層での稚拙な理由による殺人や育児放棄が目につくことが多い。それらを引き起こすのは紛れもなく家庭や学校の環境とその内容である。そこには所得、子を取り囲む大人たち、もっぱら両親や教師の人間性、地域の人間がつくりだす雰囲気などが複雑に絡み合っているのだろう。本を読む人間が減ったということもあるだろうし、LINEなど心の機微が脳で自覚されることなく高速に吐き出されるネットワークを原因にあげることもできるだろう。原因を一つ一つをあげていけば、結局は国家や社会の運営に責任があるはずの官僚や政治家に避難が集中するはずである。しかし巧妙に忙しない現代社会では原因の追究すらできないほどに催眠状態ともいえる脳内環境の中で、日々の矛盾や疑問は記憶の箱の奥の方に押しやられてしまう。溜まりに溜まった世界の矛盾は忘れた頃にアルコールなどの助けを借りて融合し、感情の渦となって脳を支配し吐き出される。酔った勢いで性交渉に耽る若者が増え、不倫のスリルに身を任せ家庭を崩壊に導く大人が後を絶たない。不信に心を傷つけられた子供達は身を寄せ合い、他者を傷つけたり見下すことでなんとか自己を保とうとする。忘我の大人は終電ないし夜明けの電車であられもない醜態を面白半分に激写され、日本の暗部と間抜けな平和の一端を世界に晒す。

無限のループは誰にも変えることも救うこともできない。
只々、自身が変えられないように知るべきことを知り学びべきことを学び、個を鍛えるほかはないのだろうと私は思う。

空海が聾瞽指帰を記した時その序文に「ただ憤懣の逸気をそそぐ」とやまぬにやまれぬ気持ちをそこにぶちまけたのは、現代に転がる同じような如何ともしがたい人間の愚かさに絶望しながらも、人間として生きているが故に美しく在りたいと闘っていたからではないだろうか。
2週間前沖縄へリサーチに行った折、お話を聞かせて頂いた辺野古で18年間市民運動の中で戦ってきたきた人はその紆余曲折の中、もはや勝ちや負けではなくただ人間として正しく在ろうと戦っているように、私には見えた。




2015年5月13日水曜日

祖霊信仰、ニライカナイ、王国を経た血塗られる美しい海、ミサイルを押し付けられる蒼い海。彼岸と此岸のあいだより。

久々のBlog更新。2015年5月9日〜11日まで沖縄へ行ってきた。きっかけは藤原新也氏のウェブマガジン内における辺野古見学兼OFF会。石垣への乗り換えを除いてまともに沖縄の地を踏むのは10年以上前の高校の修学旅行時以来のこと。OFF会はおまけにしても金魚の糞になるのは真っ平御免。自身における必然性を高めるため、出発まで一月未満だったが出来うる限りの深度を目指したリサーチをした。リサーチを進めれば進めるほど驚きと危機感の連続だった。元々持っていた危機感では甘いくらいに歴史的現在年としての今は逼迫しているうえに、時代の速度が鬼畜的に速く問題の根は予想を覆すほどに深く捻れている。それは本来市民を守るためにあるはずの機動隊や海保が抗議中市民を強制暴力排除したり、右翼がクリーン活動(笑)として米軍フェンスに括り付けられたメッセージを一掃したり米軍キャンプ内において仲良し懇親会をしていたりするところに顕在化していると言えるだろう。
本を読むと、結局は"政治家の意識怠慢"の一言に集約される。物事は常にシンプルなものだ。自身の行いや自分自身さえも崇高なものに仕立て上げてしまい自意識過剰の渦の中に呑み込まれていく。しかし本人は気がつかない。崇高すぎて自身を省みることなどできないから。しかしこれで終わってしまってはBlogの意味が無いため実地調査を含めたリサーチ内容の整理をする。以下、かなりの長文になる。

5月9日(土)7:55。羽田からJALで那覇へ向かう。当初は初日に首里城見学をするつもりであったが、機内で限定された範囲ではあるがインターネットが使えたため沖縄の観光についての情報を端から読んでいく。はじめに目に付いたのはやはり沖縄料理のお店と伝統文化や工芸美術などに触れられる牧志あたりのスポット。ページをめくっていくと久高島に惹きつけられた。文言には、「琉球の創世神アマミキヨが最初に天から降りてきて、五穀をもたらし国造りを始めた島として、古くから崇敬を集めてきた。島内には、琉球開びゃくの七御嶽のひとつクボー御嶽[うたき]をはじめ、カベール御嶽、島の2大祭祀場となっている外間殿[フカマドゥン]や久高御殿庭[ウドゥンミャー]など、多くの聖域が点在し「神の島」ともいわれる。周囲約8kmと小さい島なので、レンタサイクルで回るのが便利。」とある。これはしばしば情報や本や人などに対して発揮されることなのだけれど、明らかにかつ無意識的に有用で重要なものや人に惹きつけられ運ばれることがある。今回の旅も然り。感覚がそうだということには逆らってはいけない。考える前に動いた方がおもしろい時があるのだ。とにかく行くことは即決し、タイムテーブル上で行けることを確認して行き方をザックリと頭に入れる。10時30分那覇到着。飛行機に接続された通路に出た途端から暑さの質が違うことを感じる。湿気が空気に厚みを持たせるようで、なんとはなしに重いのだ。ロビーから外へでるとそれはすぐさま確信に変わる。東京からすればもの凄い湿気を肌で感じとる
。
すでに暑い南国の太陽が激しく迎い入れてくれている。心が高揚せずにはいられない。私は南国の太陽と風がこのうえなく好きなのだ。空港と首里間を約30分で直結するモノレール「ゆいレール」に乗って旭橋へ。1日フリーパスが700円とお得なのでそれを購入した。途中、小禄で気の迷いが生じ下車。改札口へと降りる階段で思い直し再びホームへ。ホテルに荷物を置いて身軽にしようと思ったが、何が必要になるか分からないので思い直したのだ。しかし、このちょっとした気の迷いが予定を狂わせ、バス待ちに1時間フェリー待ちに1時間となんとも南国らしい空白の時間を生み出したのだ。プラプラしてみても大してなにもない。しかし取っ掛かりがない空白にこそ、一番大事で感じ取りにくいものがそこにあるのだと私は考える。
スムーズに行けば旭橋駅から徒歩3分の那覇バスターミナル→38番系統の路線バス志喜屋線で1時間、バス停:安座真サンサンビーチ下車、徒歩5分の安座真港から久高海運高速船に乗り換え15分、またはフェリーくだかで20分、徳仁港下船。という流れで空港から約2時間みれば到着できるはずだ。しかし島に到着したのは14時半。一瞬の気の迷いは行程にかかる時間を倍にしたが、配布された久高島の地図や御嶽についての記載を読み込んだり琉球新報に目を通したりただ静かに海を眺め考える時間を私に与えてくれた。結果は常にAll lightだ。かといって時間があるわけではない。帰りのフェリーの最終は17時なのだ。港から一番近いカフェ兼レンタサイクル屋さんで自転車を借りすぐさま走り出す。地図はあまり見ない。これは良くも悪くも未開を求める私の習性で舗装があまりされていない方ばかりに自転車を走らせる。5分で行き詰まり公民館のようなところの広場を横切って民家のある道をカベール岬目指して練り進む。散策中気がつかずにおそらく御殿庭(うどぅんみゃー)や大里家(うぷらとぅ)外間殿(ふかまどぅん)を何度か通り過ぎていた。なんだろうという気持ちは確かにあり、その風景はきちんと見覚えていたことに帰宅後気がついた。それぞれに立ち止まり拝む理由がある聖域であった。アニミズム的な信仰は権力の誇示と関係するよ
うな大仰な鳥居や狛犬や金ぴかりんの間などとは一切無縁のため、時間をかけゆっくりと、そっと訪ねるべきであった。なるべく全ての場を体験しなければという焦りがなかったわけではないので、またきちんと下準備をしたのちに再訪すべきであろうと思う。沖縄はとくに祭祀や行事が多く、地域ごとの種類も多い。一つ一つの祭祀に関連性はあれど固有の由来と儀式があるもので、対照的に何かにつけて差異を嫌がる国家という単位の誤りに思いを馳せる。日本はまだしも地理的に一つの島であるため内乱などの気配は生じないが、陸続きである中国やロシア、中東、アフリカなど至る所で国家という単位の齟齬が内乱や暴動を引き起こし続け、いつまでたっても世界から大量殺戮兵器は無くならない。兵器市場は商売繁盛。麻薬カルテルも商売繁盛。裏から表、表から裏へ、所々で滞留し格差を生み出しながら鈍い流れを造っているのが先進国における資本主義経済システムの現在の姿だ。開かれた新興市場は配管もできたばかりで通りも良いが、やがては老朽化した先進国のように汚物が溜まり社会は汚濁と腐臭にまみれ取り返しのつかないところまでいってしまう。戦争や領土や緊張関係や社会制度や憲法は、理念も道徳も無くした人間もどきの少数派によって全てマネーゲームの駒になる。存在しないMoneyの影で文化や記憶はゴミほどの認識もされずに消えていく。Moneyの流動性は破壊からしか生まれない。積み上げられた愛しい記憶を破壊し新たに建設を進めてまた破壊し、乱暴な新陳代謝を起こすことで健全な経済の流動性が確保されると本気で信じている少数派は、あまりに強大かつ絶大な力をすでに保持している。そんな魑魅魍魎たちを前にして世界を救うなどということはおろか、変えるということさえもはや絶対的に不可能だ。
来たるべきものに備え、もっぱら個を鍛えるという他になんの手立てもないというのが現在の大観である。そのために私は拘束性のない緩やかな繋がりを造るため、私自身が学び行動し語らう活動"Think about the future in past - for the future children -"を始めた。表題が英語なのは、この活動はその土地ごとに世界中で必要とされる活動であると考えるからだ。今回の旅も藤原新也という写真家を中心に据えた別の連帯への参加がきっかけではあれど、自身の行動基軸としてはその一環である。場の深度に触れ人間と関わり、求める者には語り伝える。流れそのものに埋没するのだ。表現におけるちっぽけな固有性も自己顕示欲もしばらくは隅に追いやりたい。それが私から見た時代の必然性なのだから。

久高島に話を戻そう。かつて琉球国王も訪れていた神聖な浜(いしき浜)、二千年も前の貝塚(しまーし)、琉球の祖神アマミキヨが降り立ち竜宮神が鎮まる島の北端(はびゃーん)でも、じんわりと胸に染み入るような、ひっそりとしていて畏れというよりは無性に愛しい控えめな神域、お祀りする場であった。しかし島の神女になる儀式であるイザイホーは現在ではおこなわれていないという。そのために半分自然に回帰した残り香のような佇まいであったのかもしれない。愛おしさを感じたのはもしかするとその場の記憶に対してであったか。
自転車を返却し一汗かいたあとのオリオンビール。一人でいても喉を潤し五臓六腑に染みわたる際の「くぅ〜…」は止められない。時間がないためイラブー(海蛇)のスープまで届かなかったことも残念ではあるが、かつては琉球王朝の神事の要所であった久高島で最高権力者の位置にあった久高祝女(ノロ)と外間祝女、久高根人(ニンチュ)の三アムトゥだけに許されていた神聖な料理で、海蛇の燻製の際に用いる火種となる植物の配合や作業の詳細はすべて口伝えで継承されてきたというから、興味本位の定食感覚で口にするのも畏れ多いという意味ではそれもそれであるべきようであったのかもしれない。
海はただただ美しく風は凪いでいた。暴力的なものはそこでは一切感じられなかった。鉄は錆び長い時間をかけて母なるマントルに還ろうとしていた。

島を後にする。那覇行きのバスまでまた一時間待ち。待っている間、近くの岩場を観察。潮の引いた岩場では取り残された魚たちが泳いでいた。始めて自然のシャコも見た。青くて綺麗な魚がたくさんいた。小さな自然の海の下の世界だった。かといって大して綺麗な岩場ではない。岩にはヘドロのようなものがこびりついてヌルヌルとしていたため、足元には十分に気をつけなければならなかった。それでも、こんなところにも生命が溢れているのが沖縄の豊かさであると私はしみじみ感じたのだ。というのも、前日に私はまた急に思い立ち家から自転車で30分ほどの距離にある入間川へ行っていた。10年以上ぶりに行った入間川はヘドロにまみれ汚水の匂いがした。かつて遊んだ川はまったく様変わりしてテトラポットのあいだには小魚もおたまじゃくしも泥鰌も川エビもいなかった。川床には砂利の代わりにヘドロが堆積し、まるで堆積した時代の負を象徴するようにゆらゆらと漂っていた。にもかかわらず釣り人はそこそこいて何かを釣っているようだった。おそらく川の本流の深度のあるあたりには環境に強いバス系の魚がいるのだろう。岸辺の草むらではなにかしらの病におかされた瀕死の狸が一匹、意識が混濁しているのか太陽を向いて揺れていた。所々体の毛も抜け落ち骨と皮ばかりに痩せ細りあばらが浮いていた。自然にしておくべきだと理解しているが命を見過ごすことに躊躇いがないわけがない。やるせなさに駆られ黙々と水切りをした。日も暮れかかり帰る間際、もう一度件の狸を見に行った。死んでいるかもしれない。死骸は見たくないな。そう思いながら恐る恐る草むらをのぞくと狸がいない。いや、草むらの中に眠っている。きちんと寝床に帰っているのだ。この狸はまぎれもなく明日のために生きている。動けず太陽に向かって座り続けることしかできない、いや、もはや明日はその体力すらないかもしれない。それでもそこでただ地面に伏せて何者かに狩られるだけの末期を選択することはないのだ。もしこの狸を発見した時に勝手な死の予想を押し付けて短絡的で一方的な動物愛護精神を持ち込み動物病院にでも駆け込んでいたら、私はこの瀕死の狸という一つの生命の輝きを冒涜することになっていただろう。それはどこか、日米安保を沖縄問題にすり替え、福島の人たちを一括りに被災者として扱う乱暴さと繋がるものだ。

20時頃、宿をとっている小禄に着く。駅前にはどでかいIONが構えている。翌日知ったが沖縄にはIONが多いらしい。確かにそうだ。その他に自身で気がついたのは楽天edyの普及率だ。こういった場所では巨大資本の独占が目立つため、入札の際などの暗く獰猛な空気を感じやすい。道路を渡ったところにある百均でビーチサンダルを購入し、来た道を戻りながらIONを横に見て宿へ入る。宿の構えは大きく黄色く塗られた外観は南国の植栽に彩られ南国らしさを演出していた。中身は可もなく不可もないビジネスホテル。全室Wi-Fi完備で朝食付きであることが単独旅行には有難い。さっそくシャワーを浴びて夕飯をとる場所検索する。フロントで聞くと小禄にはIONのフードコート以外では何もないそうだ。これも翌日知ったことだが、巨大資本は賃料が高く地元の店は入れない。結果、どこにでもあるチェーン店が入り採算がとれなければ撤退する。どこかのIONでは、はなまるうどん1軒だけのフードコートになっているという。本当の地域振興とはなにか。空いた土地があれば即時購入・転売・商業施設かマンションの建築等で利益につなげなければ気が済まない、今の企業や国家の体質が十分な問題提起になっている。
いくつかの目星をつけて2軒まで絞り込む。安里駅から徒歩1分にある、うりずん。ここは知る人ぞ知る沖縄料理屋で、県内全ての泡盛が置いてあるという。もうひとつは美栄橋駅から徒歩3分の、まーちぬ屋だ。まずはうりずんへ行ったが土曜の夜ということもあってか1人でさえも入れなかった。すでに21時をまわっているのですぐに引き返し、まーちぬ屋へ。運よくカウンターが空いていた。通りに面しているも中が見えず隠れ家のような佇まいで、人によっては入りにくいかもしれない。しかし夫婦らしき店主が明るく優しい。奥でお母さんらしき方が料理を作っていた。まずはオリオンビール。昼間に久高島で生を呑んでいたため瓶にしたが、私には瓶の方が美味しく感じられた。まずは初体験のどぅる天と定番の島らっきょうを頼む。田芋という里芋に似た沖縄の芋に豚肉、かまぼこ、しいたけを混ぜて練り合わせ揚げたもので、前述のうりずんが発祥とのこと。しっとりモチモチしていて出汁の効いた味がする。箸でちぎりながら食べることができるのでお酒のつまみに丁度良い。島らっきょうはツンとした辛味はなく殆どが茎だった。茎だけでもこれだけ美味しいのならと、自宅で漬ける際に茎を捨ててしまったことが悔やまれた。
次もまた定番の海ぶどうと島豆腐。醤油ポン酢にサラダ油を加えたような独特のタレにつけて食べる。ぷちぷちとした食感とタレの味が絶妙に合う。付け合わせのレタスと食べれば海ぶどうサラダだ。何もつけないで食べると仄かに海の香りがした。昼間みた久高島の海ぶどう養殖場を思い出し、久高島の海ぶどうかもしれないなと思ってみたりした。島豆腐は味、食感共にしっかりしていて豆腐というよりは独立した1つの料理のようだった。何もつけず生姜と鰹節だけで十分に堪能できる。ここでビールを終え泡盛にする。店主に聞いて首里という泡盛の10年古酒をロックで頼んだ。ブランデーのような味と香りだ。おそらくブランデーかシェリー酒の樽で熟成させたのだろうと思いきや、そうではないという。
次に頼んだ琉球王国の10年古酒も似たような味がした。これが泡盛なんですと言われるも、なんとなく釈然としない。私は若輩者の酒好きだ。経験が少ないとはいえ泡盛もいくつか嗜んできた。その中では、古酒でも泡盛らしい泡盛の方が私は好きだが貴重な体験ではあった。後日、首里の咲本酒造で見学試飲の際に聞いてみたところ酵母にも色々あるし、若者の泡盛離れのためそういったものも出てきたのだとか。確かにお酒を好きな人というのは相対的に相当少ないと感じる。飲み会という場でのコミュニケーションツールとしては嗜むが1人では呑まないし金もかけたくないという人は多い。それも時代ということなのだろう。
最後は、それぞれ島豆腐の上に乗ったカラス三点盛。スクガラス、イカスミガラス、もう1つは何ガラスだったか酒盗のようだった。一番癖があって好き嫌いが別れるというのがスクガラス。確かにツンとした発酵臭を感じるが、くさやを好んで食べる私には堪らない逸品だ。泡盛との相性も抜群である。〆にイカ墨のジューシーも頼みたかったが、ゆいレールの終電が心配で何より眠くて仕方がなかった。3時に起きて始発に乗って来たのだから当然である。本日はこれまでということで店を出ることにした。お会計の際、今回は持ち合わせがあまりなかったのでカード払いにしようかとも思ったが3600円くらいだったので現金で支払った。安い。翌日は10時にチェックアウトだ。いよいよ明日、辺野古に現地入りする。部屋に戻りシャワーを浴びて、持ってきた「日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか」と自前のノートで日米地位協定についてのおさらいをし床についた。

5月10日(日)7時起床。朝食を食べ10時まで本に目を通したりニュースを横目に見ながらゆっくりと支度をした。チェックアウトを済まし車の同乗をさせて頂くT夫妻と初めて顔を合わせた。奥さんはうちなーんちゅで旦那さんは横浜からの移住者だそうだ。しかも偶然同じ大学の芸術学科出身。話は大いに弾んだ。肩肘の張ったところのないなんとも緩かな空気をまとったご夫婦のおかげで、その日は徹頭徹尾救われた。過去から現在までの沖縄、デモに行くということ、沖縄学の本の紹介、小さい頃の何気ない思い出やうちなーんちゅならではの沖縄観を伺うことができた。辺野古基地のフェンスでぶった切られた悲しい浜で、初めてみたヒトデの抜け殻も頂いた。
那覇市内から車を走らせ1時間ほどの伊芸サービスエリアで他の会員の方々と合流。今回の企画を取り計らってくれたAさんにご挨拶をし、自己紹介をしたりしながら藤原新也氏を待つ。30分程して氏が登場。上背もなく何気無い格好をしているだけなのになぜか遠目にも目立つ、やはり何かしらの天分を纏った人なのだろう。オーラという言葉は嫌いであるが、そうとしか言えないものが色濃く滲み出ていて凄みがある。サングラスで隠された目は確実に人を射抜く目だった。嘘も虚栄も通じない、怖い人だ。しかし物腰は年相応に柔らかく声は渋かった。もっと声には張りがあり威圧的な棘のある方を想像していたが、おそらくそれは10年以上前の氏の姿ではないか。それでも独身の厳しさを感じる一人の天然自然の男がそこに居た。仲良くなれるかななどという甘い考えは後ろ姿を見た時すでに吹き飛んでいる。雷に打たれたという表現はしばしば目にすることがあるが、まさにそれに等しい一瞬の体感であった。こんなぶ厚い空気を纏った人間に接したのは初めてだった。しかし反面悪い癖で、挑みかかりたいような暴力性が身体の中を駆け巡っていた。既にして負けているからこそ負けたくないのだ。首筋にかぶりついて喰いちぎってしまいたい。そのまま海まで走って行って血まみれのまま海に沈んでしまいたい。現実に、そういう去来する思いを湧いては抑え湧いては抑えていた。
そこからまた1時間ほど車を走らせたところの未來宜野座サービスエリアで食事をとった。芸能人の色紙がたくさん飾られていた。ソーキそばを食べた。初見の方々との距離が近すぎての緊張からまったく美味しいとも思えず、早く食べ終えることだけに集中するただの栄養補給をした。温かなT夫妻に勧められるまま駐車場で開かれているバザーを見て廻った。昔はここで米軍払い下げの闇市が開かれていたという。2tユニックに米軍の小さなコンテナケースを積み込んであらゆるものを売っている人がいたり古本屋さんがあったり極めて雑多な市だった。それだけに異国情緒に似た空気が強く、完全な過剰意識であると自認しつつも脳は勘違いをし海外にいる時と同質の身の危険すら覚えた。
そこからさらに車で30分。いよいよ辺野古だ。まずは浜に設営された抗議のキャンプ村へ。しかし浜辺のキャンプは迫り来る台風を警戒して骨組みだけになっていた。T夫妻も自然と口にしていたが、沖縄の方の台風への意識は東京の人間と比べると桁違いだ。それだけ猛烈な勢いを伴って上陸してくるということだろう。日本人が総体として諦めの根性が座っているように、土地の自然の性質は文化や人格形成に極めて密接に関わっている。そこに近隣との地理的条件が加わり政治が始まるのだ。かつては南方と大陸方面から命からがら渡ってきた人達で構成されたであろう、アニミズムを中心とした縄文人のいくつかのコロニーから、やがてそれらを平定する者があり琉球王国へ。当初は薩摩に、やがてはヤマトに睥睨され沖縄になってからは日本国に裏切られアメリカに土地を奪われた。あまりに美しく神聖さすら感じるこの島は、善きも悪しきも呼び寄せて今なお明暗の陰影を沖縄の上に色濃く落とす。沖縄をリゾートとして見てしまっては産土を感じることは叶わない。美しい海には死の陰が浮いている。戦争で分断されかかったニライカナイへの道は血塗られたところを避けては通れなくなってしまったのだから。
海辺のキャンプから裏に回り事務所のようなところに案内をして頂いた。そこで資料を頂き、実際にご自身も出身地域のリーダーとして18年前から反対運動に参加している女性から説明を受ける。18年の沿革の中で辺野古の豊かな海に触れ、失笑を交えて政府や右翼団体の矛盾と横暴の歴史を淡々と語って頂いた。沖縄の米兵は絶対的正義を刷り込まれ送り込まれてきた10代の若者たちが多い。自らが歓迎されていると教えられた彼らにとって、自分たちへの市民からのバッシングはまだまだ感受性の強い年頃の心に重くのしかかることだろう。本来は市民の矢面に立って交渉するはずの政府が税金と国家公務員を駆使して市民を暴力的に追い詰める。遡れば昭和天皇やその近習らの敗戦後共産主義革命への恐れにまで行き着く1952年に調印された日米行政協定。その後は沖縄を犠牲にして政治における軍事的なストレスを回避したいと考える、既にして戦争責任を感じない日和見主義の官僚らにより米軍基地駐留は破格条件の売国行為として、日米地位協定と名前を変えるが中身は変わらずに引き継ぐ形となった。銃剣とブルドーザーにより奪われた土地の返還要求。それに対する交換条件としての基地移設に振り回される市民運動。しかし、セクト化し公安のスパイに扇動され内部抗争に発展し瓦解する一連の市民運動の流れはもう変わったようだ。国家間の稚拙な対立感情をよそに、韓国の米軍基地駐留反対の市民団体とも交流が深い。草の根的な活動を続けていくことで少しずつでも現状に歯止めをかけることができる。それがいつか大きな流れとなって世界を変える流れとなる。18年もの間、座り込みなど非暴力の抵抗運動に身を捧げてきた一人の人間の言葉は、理屈ぬきに重く胸に迫った。
次に我々は辺野古の海を隔て米軍基地を囲む柵を見学し、集合写真を撮りしばし美しい海に想いを馳せた後、キャンプシュワブゲート前に陣取り抗議活動を続けているテント村へと移動した。こちらでは連日声をあげ精力的に熱烈な抗議を続けている。その日も50人ほどはいただろうか、ちょうどゲート前で抗議の声をあげているところだった。警察車両が犯罪だ去れと機械的に繰り返す中、後ろでは自身を疑ったことなど生涯一度もないような傲岸不遜の顔をした警官が憎々しげにメンチを切っていた。一通り海保介入反対などの看板を掲げ沖縄を返せと訴えたのち、沖縄返還の歌の合唱がはじまる。この時はじめて革命と歌はセットなのだと痛感した。歌による集合の一体感は予想を覆す効果を持っており、言葉よりもその意志が形となって圧倒していた。これはおそらく本気の抗議活動の中に身を置かなければ体験できないだろう。アーティスト気取り芸能人のライブとはわけが違う。たまらずメンチを切っていた悪相の警官が滑稽にもメガホンを持ってゴニャゴニャと叫んだものだ。以前、震災後原発問題への意識が高まった頃の高円寺から新宿へと練り歩くライブデモに参加したことがある。大変な大人数だったが、集まっている若者は一様にヘラヘラとしたヒッピー面で、原発のなにが問題であるかも理解していないような者ばかりだった。当然、一体感も戸外で音楽にノる程度のもので抗議としての強さは皆無だった。あぁ、こりゃ駄目だと思いそれ以来デモは自己満足であると決めつけていた。そういった意味で、私は今回はじめて本物の市民活動というものに触れたのだ。そこには時代の中で失われつつある、人間が人間として在るための存在の厚みのようなものが生き生きと脈をうっているように、私には感じられた。
最後に辺野古の海を一望できるカントリークラブ内の小高い丘に車を移動させた。日曜日のため人はいない。ただでさえ台風が迫り来週には県民大会を控えた母の日。普段なら20人近くの集団が基地周辺をウロウロしていたら警官がすぐにでも小うるさく駆けつけてくるそうだが、こんな日はきっと休んで家族と共に過ごしているのだろうと言う。そんなところにも沖縄人の包み込むような優しさを感じ取ることができる。この日行動を共にした人達の中に、日本政府を批判することはあっても米兵に同乗はすれど憎しみをぶつけているような人は一人もいなかった。
広大な範囲に張り巡らされた赤いブイの内側を海保の巡視船が三隻、緩やかに動いている。あぁ、我々の税金があの美しい海を護るのではなく破壊されるためにばら撒かれているのだなと思うと、なんともこの国の国民であるという事実が情けなく遣る瀬無い思いに駆られた。

ここでそれぞれOFF会開始までは自由行動ということで、再びT夫妻の車に同乗させて頂き、OFF会会場のある北谷へ向かう。北谷も昔は米軍基地があったところだが1981年に返還されている。今ではアメリカンビレッジという広大なレジャー&ショッピングスポットに様変わりし、県内唯一の観覧車がある若者と外国人に人気のスポットだ。ちなみにここにもどでかいIONがある。OFF会の集合時刻まで著名な版画家のミュージアムを見たりカフェで休んだりしてアメリカンビレッジ内で過ごした。そこでT夫妻にご馳走になったタコスが意外にも旨く、良き思い出として心に刻まれている。T夫妻の旦那さんは徹夜あけでの参加らしく、ここでT夫妻とはお別れになる。初めて会った若輩者の私を非常に親切に扱って頂いた。貴重なお話もたくさん伺うことができた。そして何より温かく楽しかった。
沖縄の人は客人に対して絶対につまらない思いをさせないという気持ちがあるのだと語ってくれた奥さん。そんなうちなーんちゅの気質を体現しているような夫婦だった。心から感謝の礼を述べてOFF会の会場へ向かう。

藤原新也氏を囲むOFF会に参加した。自己紹介をし呑んで食べて話を聞いた。とくに発言をする必要もなく終始和やかな雰囲気で会は進められた。会員の方々は皆とても良い人ばかりであった。年若く人間嫌いの私を遠巻きに気遣って頂いている優しさが感じられた。宿のチェックイン時間である21時をとうに過ぎていたため野宿になるかもしれないとお話したところ、即座に調べて電話をかけてくださった。歩いていくというと心配だからと車で送って頂いた。宿の管理人さんも私を心配してくれていて、0時までは待つつもりであったという。宿に着いたのは殆ど0時になろうという頃だった。
部屋は一人にはもったいないほどのコンドミニアムで、洗濯機も炊飯ジャーもありダブルベッドでジャグジー付きのオーシャンビューだった。荷物を置いてコンビニへビールとお茶を買いに。ビールはもちろんオリオンビールだが、夏限定醸造のアロマホップ使用にした。お茶は翌日も持ち歩くつもりで1ℓのペットボトル。シャワーを浴びホッと一息。さすがに疲れていた。1日を思い返す。たくさんの優しさに支えられた1日だった。沖縄は温かい。
明日は6時半の始発バスに乗って那覇を目指し首里城見学をするつもりであったが、もう1時半をまわっていた。起きられたらということにして9時に保険の目覚ましをかけ床についた。

5月11日(月)朝6時。「おはようございます。6時になりました。」聞き覚えのある声、見慣れた顔。3mほど向こうにあるTV画面から今日も元気にニュースキャスターが何やらを伝えている。よくわからないが起こされたと思った。まだボーっとする頭で考える。行けということか。無駄にするなと。しかしこれはありがたかった。危なく貴重な最終日を無駄にしてソーキそばを食べて帰る羽目になるところだった。目標に対して尻すぼみになりやり切れないことが多い自身の非常に悪い癖だ。睡眠は飛行機の中でとればよい。
起き出すがまだボーっとしている。たらたらと支度をしているうちに7時近くになってようやく行く気になってきた。もともと7時には出るつもりであったのでシャワーを浴びてシャキッとする。出てきてちょうど7時。突然TVが消える。そうか、早よ行けということか。ぱっぱと用意をし10分程で支度を終える。念のためTVかリモコンに自動ON/OFFの予約機能があるのか調べてみたが、見つからなかった。私を叱咤するように点いたり消えたりしたTVの謎は解けないままに宿にさよならを告げる。
手違いでバスを一本見送り20分ほど待つことになった。無事に次のバスに乗り込んだがしかし、ゆいレールに乗れるのは終点の那覇空港だという。那覇空港と首里の間は約30分かかる。帰りの飛行機は13時20分。時間が限られていた。8時を過ぎた頃、那覇市に入ったバスは朝の混雑した交通帯に入った。少しすると看板に空港の文字が見えてきて見覚えのある地名がぼつぼつと見えはじめる。首里方面が示された看板を過ぎた。焦りはじめる。まだゆいレールは確認できていない。目を皿のようにしてゆいレールを探した。美栄橋でついにゆいレールに遭遇!ゆいレールがあるから降りると言うと、ここでは駅まで遠いので県庁北が良いだろうと言う。終点とか言ったじゃないか!という思いが湧かなかったわけではないが、降りる際に両替機に無い5千円の両替もおそらく手持ちのお金でやってくれたので、一先ず感謝である。道を渡ってすぐの県庁前から首里へ向かう。首里から4つ目の駅おもろまちに着く。ここも昔は基地だったところだ。よく観察する。すぐに面影をみつけた。植栽がきれいに植えられた駅からまっすぐにのびる中央の道。おそらく滑走路か何かだったのではあるまいか。また一つ沖縄の抱える負の遺産を目に焼き付けた。ほどなくすると終点の首里だ。窓の外に見えるビルの屋上に、ひそかに目指すソーキそばの名店「首里そば」の看板が見えた。起きてからインターネットで検索しながら今日1日のスケジュールをざっと立てておいた。まずは首里城見学。次に首里そば。もし並んでいて食べられないようなら大東鮨セットがある美栄橋の元祖大東そばだと決めていた。地図もばっちりノートに描き写してある。Wi-Fiがなくても迷うことはない。

駅を降りる。念のため改札で駅員さんに首里城までの道を確認し徒歩で向かう。10分程度で入り口に着く。案内に従い公園内を散策する。清潔な公園内には琉球松が植えられていて、丁寧にカットされた石が積み上げられた。腰の高さくらいの城壁に囲まれている。階段には手摺が据え付けられていて老人にも安心だ。修学旅行生たちがわらわらと見えている。そうか俺も修学旅行で来たのだなと思いつつも記憶はただ赤い建物のみで、まったく新たな目で肌で首里城を感じていた。途中、僅かではあるけれど修復前の城壁を確認することができる場所があった。修復後の壁とは明らかに違い、もっとゴツゴツとしていて不揃いな琉球石灰岩だ。修復後の壁は整然とシャープに組み上げられていて沖縄の人の中にもこうしたソリッド感があるのかとも思い、粘り強く抗議を続ける市民の姿を思い繋げてみたりした。歓会門前の狛犬をしばし見て中に入る。やはり東京近郊などでよく見る狛犬の造形とはだいぶかけ離れている。公園内にはところどころ御嶽を思わせるような控えめな神域があったりして、それだけでもやはり見にきた甲斐があったと思わせるには十分であった。歓会門から瑞泉門へ、漏刻門をくぐると真っ赤な広福門と北殿がそびえている。ここからは有料なのでチケットを買い奉神門をくぐる。赤い門をぬけるとパッと開けた床面に紅白のボーダーが敷かれた御庭がある。このボーダーは単にビジュアルだけのものではなく儀式の際に首長達が座るためのガイドラインの役を果たしたものだという。立派な正殿を拝み、案内に従い右手の南殿から靴をぬいであがり内覧する。南殿の外壁には朱が塗られていないが、歴史資料としてそうなっているものらしい。展示されている美術工芸品や映像資料を見ながら書院、鎖之間と庭園を通り正殿に入る。正殿までは木材の温かな香りに包まれていたが、正殿は懐かしい漆の香りで満ちていた。これだけの漆の作業が大変な難儀であることは想像に難くない。空港に降り立った時に感じたあの湿度が、これを実現できた奇跡の一端であるのは間違いないだろう。かつて漆の城をといった殿様はほかにもいるが、漆工は塗ることはできるが乾かす風呂を造るのに大変なコストと労力がかかるため不可能だと答えたという。うる覚えだが、たしか漆は湿度が65%ないと固まらなかったはずだ。沖縄の海風と湿度は保存には向かないかもしれないが、漆を塗る際には大いに助かったのではあるまいか。かつては漆に豚の血を使ったというのはことさら朱にこだわった結果であろう。供物への感謝も含まれているに違いない。何かしらの気候に対しての素材的な必然性もあったのだろうか。それだけに、厚い朱に染められた正殿は一種異様な威厳のある空間になっている。やはり、再訪すべくして再訪したのだと沖縄に感謝する。アニミズムの沖縄、日米関係の沖縄、外交盛んな王国としての沖縄。それぞれ別々の視点から沖縄を体感することで、幾重にも重なる多様な沖縄の姿の一端を垣間見ることがことができた気がする。美しく豊かな海、殺戮の陰惨な影、隆盛を極めた王国の面影。それぞれのコントラストが沖縄の明日を照らしている。3.11からの東北再生のなかで東北学が掘り起こされたように、今こそ沖縄もそのように見つめ直すべき時であると思い様々な人の手を借りて今回の旅のスケジュールは実現した。明日の日本のコントラストを決めるのは民主主義の主体である私達一人一人なのである。あらためてそれを確認したとても意義深い3日間であった。
そんなことを思いながら一人胸を熱くし、久慶門を出て思考の余韻に浸りながらゆっくりと公園内の来た道を戻り首里そばへ向かう。店に着くと開店まではまだ30分あり誰もまだ並んでいなかったので近辺を散策した。すぐ裏の神社を表から覗き、酒造のまわりで芳しい糀と米の蒸される甘い香りを楽しんだ。試飲・特売の看板も出ていたので、首里そばを堪能したあとに時間があれば是非とも寄ろうと勝手に誓い、自販機でおばぁのさんぴん茶を買い木陰で休んだ。曇りとはいえ気温は昨日とあまり変わらない。喉を潤す爽やかなさんぴん茶が心地よかった。開店まであと15分。先ほどからにわかに人通りが増えたような気がする。車もなぜかこんな狭くて何もない道を入っていく。もしやと思い店に行くと既に5人ほど並んでいて今しがた入っていった車も駐車場に停めている。半ば急ぎ足で6番目の列に加わった。中からは元気のよいおばちゃんのおしゃべりと共に食欲をそそる出汁の香りがただよってくる。長く感じる10分程度を待ってようやく店が開店した。まず驚いたのは三和土で靴をぬいで入店すること。予想よりずっと広い木造りの店内で手際よく客をさばくおばちゃんに窓際のカウンター席へと案内される。リサーチ済みのメニューに軽く目を通す。ラフティーの煮こみに興味を覚えるも、当初から頼むものは決まっている。奥から順番に注文をとってくるおばちゃんに「首里そばとじゅーしーください」。店員さんの小気味好い返事を耳にしながら店内を見回した。可愛らしい小物が所々に置いてあり、愛着感のある温かいお店だなと思った。東京によくある無愛想でちょっとオラオラした感じで強面売りのラーメン屋と比べると、嫌でも都会の喧騒とゆったりとした島の時間の是非を思う。
5分ほど待って首里そばとじゅーしーが目の前に置かれた。首里そばにはラフティーとかまぼこと生姜が乗り、上から小葱が振りかけられている。まずはスープを飲む。あっさりとしていてコクがあり透き通ったスープ。ドンピシャの好みだ。麺を啜り無心で頬張る。歯切れの良い麺は筆舌に尽くしがたい食感の平打ち麺で、口の中で切れる時の感触がなんともサクッとしている。ラフティーは脂が程よく落ちていて臭みもなくあっさりとした旨みが凝縮されている。口に入れるとほろほろと崩れとろけるようだ。かまぼこが食感にアクセントを加え、生姜が爽やかさを演出していた。テーブルに置いてあるコーレーグースをかける。まろやかでスパイシーな香りが広がりスープの旨みが引き立つ。美味い。どんぶりを置いてじゅーしーに手をのばす。細かく刻んだ人参と昆布、豚肉が入っていて、上に小葱が振りかけてある。そばのスープと同様にあっさりとした優しい味のなかにしっかりとしたコクのある炊き込み御飯だ。首里そばとの相性も抜群である。夢中で食べていたためか5分程度でスープまで飲み干してしまった。すでに入り口には8名ほど並んでおり、水を飲んで早々にお会計を済ませ外へ出る。汗ばんだ身体に戸外の風が心地よい。
先ほどの咲本酒造へ足を向けた。芳しい甘い香りのする横の入り口を入って奥を覗くと試飲の準備がされている。しかし人がいない。時間もあるわけではないので覗いてみて人がいなかったら出ようと思っていたら運よく人が通りかかった。勢いで案内できますかと聞いたところ、10分くらいならと了承してもらった。まずはシャーレに入った糀のサンプルをみせてもらう。奥の暗がりに整然と並ぶ熟成タンクの方は現在タンクの調子が悪いとかで近くまで行くことはできなかった。順を追って、米を蒸して冷やして蒸してを繰り返す工程から糀を振りかけかき混ぜる工程へ。米を圧搾し蒸留するタンクとタンクを繋ぐ配管、冷却水を使う蒸留の説明。泡盛の沸点は85度程度だそうだ。はなさきの泡盛を濾過して別のタンクへ。通常濾過は2度おこなう。そうすることで度数も下がり呑みやすくなるという。貯蔵タンクはそれぞれ度数ごとに異なりステンレスのものと古いホーローのものを使用していた。ホーローに味のためなどの必然性はなく、タンクとしては圧倒的にステンレスのタンクの方が優れているそうだ。一通りの工程を見学し、いざ試飲へ。東京のデパートやなんかのお酒売り場でやっている試飲会とは違い、まったくケチケチしない。こちらが酒好きだと分かると全ての種類を呑ませてくれて、まるで呑み会のような明るい雰囲気になった。こちらの酒造は瓶詰めまで手作業でおこなうそうだ。古酒の表示も年々厳しくなっているようで、56%以上のブレンドでないと表示は不可だそうだ。しかし、お客さんは古酒のブランドに弱い。良い味を生み出すためにブレンドをし、古酒表示でブランド力を上げたいところだが、法律でそうはいかない。大きなマンモス蔵ではいくらでも貯蔵しておけるが、うちのような街中の小さな蔵ではそんなことできやしない。蔵主の嘆きは、こんなところにまで時代における社会の弊害が重くのしかかっているのかと辛い気持ちになった。もはやすっかり軽くなってしまった財布から、なけなしのお金を出して気に入った粗濾過の泡盛を一本買った。優しそうな蔵主であった。また沖縄に来たらここに寄りたいなと思いながら、蔵主の笑顔に見送られ咲本酒造をあとにした。

時間もかなり押してしまった。離陸まであと1時間。いそいで首里駅へ向かい電車に乗り込んでいそいそと泡盛をリュックにしまう。あとは帰るだけだ。椅子に腰掛けボーッとする。出発間際になりにわかにどやどやと人が乗り込む。とにかく日本中はおろか世界中どこに行っても中国人だらけの地球である。良し悪しの問題ではなく、人口減少が促す固有の文化の衰退はもはやどうにもならない流れに乗せられてしまっているのを痛感する。人口が少なくなったら移民を受け入れて税金をとれば自分達の家は守られるとしか考えない政治家達の傲慢が、何やら憎しみを通り越して只々滑稽に思えてくる今日この頃である。
空港に着いた。道行く女性に、もう帰るからとゆいレールの1日パスを譲る。私は日本人からも韓国人からも中国人からも中国人だと思われている。返事はOh,Thank you.だった。無論、相手は日本人である。
お酒の持ち込みは5ℓまでだそうだ。次は一升瓶を買わねばならない。離陸まであと10分ちょっとというところでゲート前に到着。すでに客が乗り込み始めていた。帰りは別れを惜しむべく窓際の席をとっていた。なんということだ。飛行機の羽しか見えないではないか。飛行機が陸を離れると、首を捻って後ろの窓から沖縄に別れを告げた。美しく蒼い海がきらきらと光をはね返していた。海が雲に隠れてしまうまで首を捻り続けた。






2015年4月6日月曜日

井伏鱒二の哀愁

世界を勝手に憂いてみる。
すると世界は拒絶する。
完璧だと信じたいから。不安を抱きたくないから。
しかし、老いも死も腐敗も待ってはくれない。身体や生の話だけではない。システムも同様だ。


花に嵐のたとへもあるさ
さよならだけが人生だ

井伏鱒二


しかしね、さよならできないのが"業"というやつですよ、鱒二さん。
さよならってな、やってくるもんだ。

…そうか、だから嵐なんだね、鱒二さん。
花も華も散るもので、それは時には嵐で前倒しになることもあるんだね。

さようなら。さようなら。

ほんのたった一年間、僕は何度さようならをしただろう。
大きいさようならに、小さいさようなら。次のさようならは、どれくらいだろう。


傷ついた分だけ、さようなら。