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2013年6月19日水曜日

電車の発車間際、次の電車を待つために開いているドアの前にならんでいる。
目の前のドアはすでに鮨詰めである。
はたしてこの状況下における関係性は極めて良い問いを提起してくれている。

私は"見ている"のか"見られている"のか。

2013年6月16日日曜日

2013年6月11日火曜日

原宿駅、新宿駅、目白駅は結果論的な造られ方をしている。
ような気がする。
他にもあるかもしれない。
例えば池袋以降品川あたりくらいまで。
だからどうしたかと言われればそこまで。
だが、そこに何がしかの"記憶"の片鱗がみえる。
汐留やお台場や六本木にはないような。
地元の駅も、いまは記憶のカスほども無い。
ココガワタシノウマレタトコナノカ。

故郷の面影、私の眼前から消えようとしている。
蹂躙せよ。焼き尽くせ。
億の後悔の念をもとに、また再生するがいい。
人間よ。
大地よ。

霊を信じ己を信じよ。

ミニスカートの太ももに、エロチィシズムの興奮を押さえきれない車中より。

2013年6月9日日曜日

存在の帰属はその土地の気候風土である。
すなわちそれが我々の形成粒子であり、内在し眠る記憶である。
それを喚起するのが社会における芸術の機能の一部。
ならば、この土地の芸術はこの土地で評価され消費されるのが普通だ。
あらゆる消費活動は全て"エネルギー"の消費である。
人間はエネルギーを消費する機械、分解機能を持った酵素のようなものだ。
芸術とは消費対象でありながら、芸術家の生成物、愛しきうんこだと言っても差し支えない。
では、芸術家は何を消費するのか。
それは、実感や体験における実存である。
だから、芸術家は旅をする。
時に思考の宇宙へ旅をする。
はたまた動かず古の記憶に旅をする。
日本の湿度が色彩が四季が天災が育んだ"我々"というものを、個の純化によって表出したい。
何気ない日常が密かに降り積もり、億の記憶は山を象る。
その見えない山を感じることが、現代人として未来の道を見失わない方法である。
道は途となり途は未来を指し示す。
道は未来からの光を目指し、途は未来を照らす光となる。
光の途は、もはや実態の無い、そう有機交流電灯のあの光そのものである。

2013年6月3日月曜日

人間は暇だとルールを決めて管理をしたがる。
要するに、脳が萎縮し多様性に耐えられなくなるため、世界を規定し楽をしたがり精神的ブヨブヨに陥るのだ。
政治から教育現場まで、およそ"公"の字があてはまりそうなところでは既に蔓延している生物的な疾患である。
心がブヨブヨになってしまっては、心のGYMを見つけて個人で個人に合ったシェイプアップをするしかない。
もしかしたら、それは実際の身体的運動と連動しているかもしれない。
何故なら私はそのタイプであるから。

私の美術は運動である。

人間をサボってはいけない。
我々は、小さくて賢くてまじめである。
協調性を重んじ争いを好まない。
外面的な派手さに乏しく内奥を愛す。
着物の派手は、もののあはれである。
感情を顔に出すことをみっともないことと考え激しさは内面に持つ。
常に対極を意識することを心掛け、文学に秀で芸術的なセンスを持つ。
笑いと祭りをこよなく愛する大和民族である。