私は鉄を鍛いて制作をしてきた。
鍛いていると、武士の剣術修行を想う。
鍛いていると、農民の反復的な生活を想う。
思うに、どちらの精神性もこの風土が育てた精神性として大した差は無いのだ。
私はいつも見えないはずの後ろを想う。
振り返れども何もない。
しかし、それが後ろになった途端に「何か」になる。
それが後ろである。
見えないからこそ起こってくるものがある。
だから、見えないということが重要で、そこを考えるということが、本質を考えるということなのだ。
私の後ろには個人的なものも含め沢山の要素で埋め尽くされているが、中でも大きく横たわっているのが、この土地の風土、日本という風土なのである。