人よりちょっぴり長い大学生活が終わった。
始めに断っておくが、私の大学生活は就職を目的としたちゃらんぽらんなバイトと女のケツを追いかけ回すことだけに終始する日本の学生の定義とは別物である。
私の大学生活を端的に言い表すならば、それは「肚」と「覚悟」の二語である。
若者が若者らしく、大人が大人らしく、年配が年配らしく在るのが理想だ。
若者が有り余るエネルギーと情熱をそのままに表現し、それが殺されてしまうなら、本当にこの国はある終焉を迎えつつあるのだろう。
それを見極めるには、自身、命を懸けた覚悟と行いをせねばならんと考え生き抜いた。
無論、同時に自身の若さと大学という恵まれた環境を最大限生かすため、修了後のスピードダウンと環境を一から作らなければならないことによる諸問題を想定したうえでのキャリア作りを念頭に据えていた。
複合的にみて、最終的には社会に負けたというのが、ようやく今になって正直に言える部分である。
私は負けた。
芸術は初期投資。リスクを負わずして未来は無い。若さを担保とした芸術をする。何より、当事者でありたいと強く思った。
全ての日本人に、メディアの食い付かないところで抗う一人の日本人がいることに気付いてほしかった。
日本人はスポーツ選手だけが世界と戦っているわけではないことを、スポーツ選手だけが自分と戦っているわけではないことを、気付いてほしかった。無論、アーティストとはJ-POP歌手だけを指す言葉ではないということも。
人間は表現ができる。
それは猿と類人猿とに別れる際の重要な要素である共感覚に担保されたものだ。
他人に媚びるだけが社会性ではないし、お辞儀の角度が社会性ではない。
大人になるとは冷めた意見を言えるようになることではないし、家族のせいにして自身の怠慢と臆病を言い訳することでもない。
愛するとはお互いに寄り添って支え合うふりをしながらどちらか一方が我慢をすることではないし、考え無しに子供を作ったりむやみやたらに結婚という儀式をするだけのことではない。
そして、人生とは決して小中高大就職結婚出産出世の空虚を指す言葉ではない。
人が生きるということは、そんな空語で表せるようなものではない。
社会は甘くないという人間にかぎって、社会をお金を稼ぐことであると単一的に誤認している。
その人間がしていることは唯の金の移動である。
どこかの誰かの思惑通り、毎日どこかへ知らぬ間に運ばれて行き任務をこなす。
疲れて愚痴っぽくなり家族を求めど、相方も子供もそのうち飽きる。義務感ではないと自分に言い聞かせる。
用意されたソーシャルサービスに金を落とす。
デパート、レジャー施設、ホームセンター、たまにキャバクラ。
空虚な散財、消費の連鎖に勝手な悟りをひらく。
人生こんなもんだ。
でも幸せだ。
一緒にすんな。
嫉妬もすんな。
邪魔をするな。
ただそれだけなのに、暇な人間は他人が気になる。
忙しくて毎日疲れているはずなのに、他人の悪口ばかり。
若者には夢を潰す言葉ばかりを吐きかける。
時間も社会もお金にも向き合わず考える前に、時間を社会に売って換金しているだけの人間が。
時間は自由を担保する知覚のこと。
社会は価値観の相互関係による動きのこと。本体は、無い。
お金はその潤滑油。世界で最も重要で意味を持たない鉱物と紙きれ。
言えますか。
社会人に。
時間とは。社会とは。お金とは。
言えますか。
だから、人生は小中高大就職結婚出産出世ではないと言う。
大学に入って安心していませんか。就職して大人だと勘違いしていませんか。会社で金を稼ぐことがアルバイトと根本的に違うと思っていませんか。後輩が年齢に担保された虚構であると一生気が付かないのではありませんか。
私はきっと変わらない。
今をもって何も変わっていない。
アルバイトを探して働いて、お金を貯めても満足をしない。
達成感は、その遥か向こうに在るから。
表現が、私の一生の仕事だからだ。
私には、もはや日本が失った遠い彼岸に、うすらぼんやりと"何か"がみえる。
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