Translate

Translate

2011年4月2日土曜日

「知っている」「わかっている」から

僕は松岡正剛が好きだ。しかし、松岡正剛を知っているかと親しい友人や初対面
でも気に入った人に尋ねてみるとなかなか知らない。そして、教えようと思いネ
ットで見ることができる千夜千冊という歴史に残る日本人の重要な無形文化財と
もいえる偉大な仕事の話をすると大体皆しっている。
これはなんだろうか。
千夜千冊は知っているというのは知っているだけで、これは単なる情報としてた
だ名前を知っているというだけなのだろうか。
僕は常々『知っている』と『わかっている』とを分けて捉えている。
そうした方が生きやすいのだ。
しかし、情報社会というのは困ったもので、『知っている』ことは『知っている
』としてその数量は多ければ多いほど善しとされるのだ。必ずしも『知っている
』から『わかっている』に転ずるプロセスは重要視されない。『知っている』単
体である価値やステータスが生まれている。
これは好みであろうが、僕はこうした世界観や価値観が嫌いだ。
僕は本を読むのが好きで、勉強が好きだ。
しかし、勉強が好きなのは知識が増えるから好きなのではない。
世界を広げ、密度を増すから好きなのだ。
僕の頭の中では、ある時期から僕自身の再構成が始まっている。僕自身の再構成
と連動し、その存在を取り巻く環境の再構成から宇宙の再構成までがここ8年来の
僕の仕事というか趣味である。しかし、それはいずれ仕事に繋げなければならな
い。
僕はめったに傷つかないし、めげたり落ち込むことが少ない。
それは忘れることが特技なうえに、僕にはもう一つの目下建設途中のどでかい宇
宙があるからだ。
僕はまず僕自身の存在を作り、それを社会の中で生かさなければならず、そうし
てやっとそこから環境を突き詰めていって宇宙に届かせなければならない。これ
は全くスピリチュアルなんてくだらない話ではない。因みに僕はスピリチュアル
という言葉が大嫌いだ。僕が自分の脳に遊ぶのは、それが僕にとって『生きる』
ことと同義であるからだ。酸素を吸って二酸化炭素をだし、食物を身体へ入れて
排便する。それと全く同じなのだ。そこでは、ただ『知っている』だけでは何の
厚みもなくただただ僕の世界に放たれ霧散していくだけなのだ。
僕はテトリスのように厚みのあるものを積み上げなければならない。
積み上げるだけでなく、厚みをさらに増し、世界観として過去も導入しさらに地
中奥深くまで土壌を作りマントルを発生させ化石も埋め込まなければならない。
ダイヤモンドは生成されようがどうでもいいが、金・銀・銅・鉄・亜鉛は生成さ
れなければならない。恥ずかしいことに僕も金属をかじって金属を好きになって
しまったからだ。以上僕の話はイームズのパワーオブテンを見ればわかる話であ
る我々の物質的な世界は『私』から宇宙まで離れていくことで存在の一番外枠へ
言及していくことになるが、私の中ではまず一番外枠の宇宙を私と同義としてそ
こから逆の流れとして世界が始まる。
言葉としてうまくかけているかは分からないけど、あくまで全部イメージです。
フィクションならフィクションでもいい。
それが何であれ僕には必然性を伴うリアルであることにはかわりないのだから。

0 件のコメント:

コメントを投稿