あらかじめ記さなければならないが、私は無宗教である。
私が好むのは宗教以前の厳かな"なにか"と国民国家以前の風土である。
さて、我々の持つエネルギーは2つに分けられる。
それは、身体エネルギーと生命エネルギーである。この2つは共鳴関係にあり、互いの振動がシンクロしている。
ただし、決定的な差異があり振動や波長は多次元を共有できるが身体は三次元においてしか機能できない。
紐理論上で最細分化された紐が振動しているのは多次元化すればするほど動性は顕著になり世界を構成する要素の根幹を成す。その動性の最小単位が振動である。人間でいえば小刻みにブルブルする、震えだ。そしてまた、その次元の大きさも凝縮され質量のみが嵩んでいき最終的にはブラックホールとなる。
おそらく、三次元に近いところの次元に意思や思考、いわゆる気だの霊だのが属する燃焼とは関係の無いエネルギーもしくは情報体で構成される次元が存在する。
そしてリサ・ランドールの「五次元の宇宙」にあるとおり、次元は振動する薄い膜であり、その間を弱い重力が行き来している。そして、前述の意思や思考などの生命エネルギーもまた、おそらく次元をまたぐことができるのだ。
次元においての存在は、低いところから高いところへいくことはできないが、高いところから低いところへ行くことは可能なのである。
時間が方向であるとすれば次元は界そのもの。唯一、固有の時間を有しているのだ。
個々の生命エネルギーは、たゆたう間にふと産まれた赤子の身体に呼び寄せられてしまう。
中にはその中でもある特殊な生命エネルギーのみに強く反応が出てしまう波長を持った個体がある。
いわゆる超状現象や心霊体験が頻繁にあるタイプの個体である。
匣によってはそういうアンテナのような役目をする波長を持ったものもあるかもしれないし、生命エネルギーの方が元いた次元の残り香のようなものを引きずっているのかもしれない。
いづれにせよ、一歩間違えると下世話なオカルト教団の文言になりかねないので注意しなければならない。
我々は身体という匣に入った時からいくつかの制約下で生を全うしなければならない。
生を全うすることで更なる高次元におけるエネルギー体に変化するためだ。
幽霊というものに、あまり良いものがないのは生を全うしきれずエネルギー体の意識が三次元に取り残されてしまったからだ。
我々はこの世界に生きているかぎり意識と身体性を最も大切にしなければならない。
身体を持たずにこんな低次元下でエネルギー体としていつづけるのは大変な苦痛だ。
しかも次元をもはやまたぐことができず、やがて霧散する、つまり、本当の死、本当の消滅が待っているのみである。
倫理道徳だけの話ではなく、戦争や他殺や自殺は生命エネルギーとしての存在に対してあまりに酷い。
宿主を失った子供のエネルギー体が無邪気に走りまわったり、思わずどこかの母性に引き寄せられてしまうのも、唯々、自身の匣が失われたことに気づいていないからだ。
故に復讐心すら起こらない。
我々の身体とはまさに蛹のことなのだ。
近代から続く致命的な間違いの一つは物理・科学と宗教やアニミズムを切り離し、存在を三次元に限定しこの知覚を完成体としたことだ。
無論、数式によって担保された理論物理の定理は空間上のある一点において究極の絶対性を発揮するが、それらを繋ぎ合わせてみても、実は世界は記述できないのだ。
祈りを真面目に化学しなければ、我々はいつまでたっても生命の源へは辿り着けないし、人間という匣を特別視している限り魂の謎は解けない。
なぜなら、生命エネルギーには個体差があっても型はないからだ。
人の生活に近い猫や犬が人間じみていて、ときに不思議なことがあるのはそのためである。
我々は人間である前にあらゆるものであったのだ。
我々はこの身体に入ってしまった以上、個の正しい喪失をもって世界に霧散し高次元のエネルギー体に還らねばならない。
そのために身体を維持するための合理的機構として社会を造り上げてきたのだが、國の根幹から祈りが消えた時点で既に道を外している。
なぜなら祈りは唯一、我々が三次元以上の高次元を感得または意識することができる道すじであり、大変に重要な能力であったから。
奢れる者は久しからずだ。
生を全うするという意味で、我々は身体機能をサボらせてはならない。
"楽して儲ける"では、蛹の中身は正しく成長しない。
生を全うしても意識が三次元にへばり着いたまま高次元へは辿り着けず、どこかの次元の狭間でそれはそれで苦しい思いをすることになる。
資本主義の落とし穴は堂々と闇の口を広げているのに、気づけずにいる人類はもはや滑稽の極みに達している。
あらゆる社会問題の中枢にいる人間は、いわゆる勝ち組とたかをくくっているかもしれないが死後に自身の生が歪んだものであったことを知るだろう。
さて、社会がこう出来上がってきてしまっている以上、もはや抜本的な改革は不可能だ。
実は哀しいかな。
正解は自身に合った生き方と生きる場所を自身で見つけ、そのための努力を惜しまず善く正しく社会生活を営むほかはない。
身体には寿命がある。
心臓の鼓動はあらかじめ決まっているのだ。
保有する時間の量と速度は個体によって異なる。
汚れている暇はない。
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