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2011年5月22日日曜日

NHKスペシャル「鯨と生きる」をみて。

僕は日本の捕鯨とシーシェパードからの鬼畜的な攻撃についてずっと関心があっ
た。
THE コーブのような一方的なプロパガンダ映画など見たくもない。
シーシェパードの強みは隠し撮りなどの陰惨な手口とYouTubeを使った情報拡散力
だ。
陸続きの人間達独特の、侵略と土足で他人の国にあがりこむことに何の良心の呵
責もない感覚は観ていて嫌悪感以外なにも湧いてこない。
そもそも我々は他人様の事情に感情的かつ主観的な物事の捉え方を押し付けるこ
とを好まない。
いや、少なくとも僕はそうだ。
僕の正義や生き方は僕の範疇になるべくとどめたい。
表現と押し付けは直に繋がっているようでもあり、相反したものでもあるのだ。
思想とはそんなに短絡的で稚拙で浅いものではない。
シーシェパードはどうにもそこの感覚が欠落しているように見受けられる。
手段はあまりに野蛮かつ下卑ていて同じ脳を持った生物だとは思いたくないほど
だ。

鯨漁は日本の伝統的な当たり前の文化だ。
失礼かつ無神経な外国人に一方的な言及をされるいわれはどこにもない。
なぜ彼らはこんなにも傲慢なのだろうか。
日本は戦後からしてあまりに自国のアイデンティティーを傷付けられ踏みにじら
れすぎた。
日本を語るのであれば、まず前提として日本を正確に捉えてからというのが、と
るべき当たり前の立場ではないのだろうか。
シーシェパードのあまりに傲慢で挑発的な態度は頭にくるのを通り越す。
むしろ人間存在の戦争との精神原理を見せ付けられたようで、その一方的で無意
味な暴力にかなしくなった。
「かわいそう」なのはイルカやクジラではなく漁師達だ。
漁師達に責任は何もない。
先祖代々当たり前のように漁をしていただけなのに、ある日突然わけのわからな
い外国人に精神的な嫌がらせと妨害を受ける。
反捕鯨団体の、潤沢な資金を武器にしたいきすぎた言動が目に余る。
そして、国の意地をかけない政治家や民衆に哀しさを覚える。
我々日本人の日本文化をなぜ日本人が護らないのか。
漁師を挑発し、怒る瞬間を捉え都合よく世界に報道し漁師達の気持ちを傷付ける
外国人達のどこが正しいのだろうか。
人の営みや文化をただの感情論だけで語るのは思想的に高次元なことなのか。
いきすぎた言動は止めることができないのだろうか。
食文化を虐殺というのはあまりに押し付けがましい。
我々は貴重な蛋白源を牛や豚のかわりに食しているのだ。
一般的に豚や牛や鳥に比べ、市場や家庭に出回ってはいないが少なくとも捕鯨を
する地域での何千人もしくは何万人の人々にとっては今も貴重な蛋白源であるこ
とにはかわりない。

こういったことに対して、僕らには一体なにができるのだろう。
3.11以降、日本の資本とメディアの関心は被災地に一気になだれ込んだ。
そのスピードと煽動力はまさに一丸となって動いた結果である。
しかし、東北の再生と同時に捕鯨文化が語られることはない。いや、日本の数々
の絶滅危惧文化が震災並に語られることはない。
断っておくが、国が一丸となって再生に向かうのは何一つとして悪いことはない
。
しかし、なぜ文化は同じように語られないのだろうか。
目に見えて町が消え多数の人が困り経済への打撃が無ければTVも新聞もラジオも
文化人も芸能人もスポーツ選手も気にすらしない。
私達の嘆かわしい日本は原発と政治家だけじゃない。
我々国民の感受性の衰退と無関心の蔓延こそが一番の悪である。

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