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2014年10月3日金曜日
note 。
頭がいっぱいである。
前回を読み直せば下手クソな文体と愚痴っぽさに吐き気がする。
自身の想定したはずの日記や心情吐露に収束しない、文章としてのエスキースやドローイングには程遠い、馬鹿らしい内容であったことを反省している次第である。しかしもし自己弁護する猶予があるのだとすれば、半分ほどの割合で文章は酔っ払って書くことがあるということだ。無論、前回私は呑んでいた!尚、この悪癖を治すつもりは毛頭無い。Viva 酔っ払い である。スーイスーイスッタカラッタスラスラスイスイスイ~♪ なのである。
ということで、エスキースないしドローイングらしく自身の思惟構造を整理してみよう。まずは題目をいくつかだしてみる。
・国民国家以前、気候風土としての日本、および国といわれる世界の"場"。
・日本という方法。すなわち土地から醸される歴史という"方法"。"南アフリカの方法"だって、あるわけだ。しかしその方法として突出していてそれが時代や地政学的知見からいっておもしろいのは、抜群に日本である。シリアスなのに何処か祭りで遊んでいるのが日本である。切れる文化より笑いと祭りの、日本という方法である。まつりは祭りで祀りで政である。
・メディアと女と男の関係性。男の体たらくは女が生み出している。女の体たらくはメディアが生み出している。結局は、馬鹿な男が日本を、いや世界を滅ぼす。メディアと教育の責任は、現在の社会形態においては確実に男にある。
・3次元という呪縛。スピリットマインドとボディマインドとブレインマインド。存在は大きく3つの存在が三次元下で合わさったものである。万物はまずサンドイッチだ。そして3次元下における存在とはじつは蛹であるということ。
・物体、存在、確かなものや形象やカタチという一瞬の幻。
・お金と時間、ARTの可能性。やるべきこととできること。「在るべき未来への原点回帰」、「僕らの世界の救いかた」。
・ある日ある時ある場所で、生まれたからには意味がある。必然を"感じる"という訓練。生きるということは現代の観念とは著しくずれたところで常に激烈なのである。
・宇宙、地球、人体。意識と身体性。存在と記憶、時間と蓄積。
・土。
・エロス。
なるほど。本質を見ようとして色々考えているということはうかがえる。
しかして、これにみあう行動が必要である。知行合一は理念であるが行動が足りぬ。して行動を担保する経験と実績が足りぬ。つまりは巡り還りやはり行動が足りぬ。
ポイントは、足腰・制作。である。要するに、ボディマインドと表現である。やはり私にとって、ARTは陽明学なのである。
しかしこの間、私は一時もあの3月11日を忘れていない。
2万を超える死が時代に投げかけた意味を、まだ私は汲み取りきれていない。
死は、ただの消滅や削除ではない。本当に、関わった全てに意味がある。それを汲み取るということは、生きるという意味の一つである。生きている以上、生きなければならないのは、反面あまりに平等な死があるからだ。だから、メメント・モリ という言葉があるのだ。
死を、おもえ。
私にはそれがART,芸術が担う本質、根幹であると思えてならない。もっというなら、実は全ての社会や文化の根源であると私は考える。生きるということは、死へ、もしくは死から、なのである。だから、
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し
と空海はいったのだ。
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