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2013年11月26日火曜日

西田幾多郎礼讃

無意識"する"。

それは意識か無意識か。

"する"は動詞だから自我が発している。
だから、意識が無意識を包み込み能動性が付与された有り得ない代物だ。

否、無意識するとは、茫洋とした"遠く"を"感じる"ことだ。
彼岸を意識するのではない。
彼岸を感じるのだ。
浄土も然り。

"感じる"とは意識と無意識に跨がる行為である。
あらゆる相対性の"あいだ"でたゆたう行為である。
支点が覚束なく点も線も面もはっきりしない、液状のものがカタチを成すような"絶対矛盾的自己同一"を担保するもの。
そこに至る唯一の道。
"自然"に最も近い、宇宙の呼吸と同調するもの。
宗教の発露。
無と有のあいだにあるもの。
東と西を繋ぐもの。

福音は此処にこそ聞こえしか。

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