親からお小遣いをもらい、アルバイト先からお小遣いをもらい、会社からお小遣いをもらう。
それは社会では"お給料"と呼ばれるものらしい。
小中高大就職結婚出産出世。それが"人生"の全てであるらしい。
これが日本人の20代30代の現状だ。
もしかしたらそれが日本の現状とも言えるのかもしれない。
立派な労働の対価としての給料と、お小遣いとしての給料。それはどこで線引きがされるだろう。
それは、労働に対しての意識や手にしたお金の使い方、人生観や世界観ではなかろうか。一言で申すならば、"価値観"の持ち方ではないだろうか。
今の日本人の殆どは、就職することで考えることを止めてしまってはいないだろうか。
就職することで未来永劫の安心と安全を勝手に傍受してはいないだろうか。
もっと良くない場合は、大学に入った時点で勉強をやめ思考をストップさせてしまってはいないだろうか。
もしくは人生で一度も自分の世界を疑ったことが無いのではないだろうか。
まだあまりに稚拙な人生経験の中で、すでに高慢なプライドを胸中に蔓延らせ他人の話に耳を塞ぎ、自身により自己という精神をぬるま湯でちゃぷちゃぷと遊ばせてはいないだろうか。
"人生は甘いものではない"
それはどんなアンポンタンな大人も口を揃えて言ってきたことだ。しかし、そこでいう"甘さ"とは一体どれだけの"大人"が分かっているというのだろう。
"大人"とは年齢か。はたまた就職か。では日本であればJ-POP歌手は大人か、プロかアーティストか。自分でアポイントを取り営業し仕事を取り収支の計算をしていなくともそれは特別か。特例か。
それらがたかだか小中高大就職結婚出産出世で全てまかないきれる話だと本当に思っているのか。
だとしたらあなた方、むしろ大丈夫か。
明日、世界は崩壊するかもしれない。それは身近な家族に起こるかもしれないし、信じ頼りきっている社会システムで起こることかもしれない。ある日突然、我々の生活は全ての人類平等に原始時代に回帰してしまうかもしれない。そんな中ではハリボテ国民国家の"日本"など一瞬で掻き消されてしまうに違いない。いわゆる神の、ほんの一掻きで。
そんなことは考えないのだろうか。どこにも保証の無い明日というものに不安も懐疑も抱かないというのだろうか。しかも逃げではないと思い込む、もしくは逃げているという自覚さえ無い。
いつの間にか現代人たるものはこんなにも傲岸不遜の極みに達した。
私は無論、身体性の蓄積によりこれらのことに対抗していく小さな力を発揮していくほか自身の答えを見出せないのであるが、その発揮もこの土地ではもはや危うく、その価値さえ失われてしまった湿度の無い人間砂漠なのではないのだろうかと考えた今日この頃。
理解がされるだろうことを諦めきったうえでの心情吐露もこれでいくつかになる。
別れられない男女関係と同じように、自身を思えばこそ歴史的現在年としての"日本"を思わずにはいられない。それが、私にとっての歴史的現在年としての"私"なのである。
この先、この戦いの末に何が見えるのか。
しかし、私が生きている限りこの戦いは如何なる形においても継続されることとなるだろう。
それは、私がこの歴史的現在年の日本に生まれた根元的な理由、天命の立証であるからだ。
他力本願の極致としての神は崇めなくとも、天命はある。
それは死に際しての生きた証として顕れるものだ。
人はやはり、"死"こそが"生"であり"生"こそが"死"であるのだ。
空海はとっくにそのことを見抜いていた。
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し
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