「平和とは秩序である。」
この言葉が甘美な罠と虚偽の大義名分となり、ただの覇権争いを絶えず繰り返しているのが国家というものである。
秩序という名のもとに戦争をし、勝つことで「正義」になるのだ。この凄まじいマッチョイズム。
民族の領土範囲が隣と地続きであるということは、筆舌に尽くせないほどに退っ引きならない状況であると想像するが、やはり我々には理解することは不可能だろう。
だからこそ、我々のパーソナリティーはそれらとは反対に位置したところにあるのだが、どうも今の我々の脳は色々と変化してしまったらしい。
隣国のニュースは反日ばかりで、何故か本来ならば全く関係ないほどに離れた米国のニュースが必ず1日に1つ以上流されることに疑問を持たない我々は、もはや環境に慣れた奴隷や囚人のそれであろう。
私はそれらに美術の思想を持って、断固反対したい。
だから、美術以外に従事する人達もそれぞれが在るべきかたちを模索し、そう在ってもらいたい。
まずは世界を自分で捉えなおしてほしい。
お金を貰う前に、お金を払う前に、安直に返事をする前に、既存のサービスを選択する前に、生き方を決めてしまう前に、少しでいいから立ち止まってほしい。
いつかきっと思い出すだろう。
土や雨の香りや風の音、太陽の光や雲の色やかたち、星の瞬きに彼岸の声を。
いつかきっと気がつくだろう。
自分の生きていると思っていた世界が、世界の本当に微少な一部分であったことを。
我々が生きているという奇跡と、生きるということが自由の行使であるということを。
妬みや恨みや気負いというものが如何に軽くて覚束なく不必要なものであるかということを。
お金というものが価値の媒体物であるということを。
“知る”こと“気づく”こと“思い出す”こと。
そのために藝術が在るのだということを、いつか我々の地でも話されることがあるだろうか。
私はそうだと、信じたい。
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