感動― 感覚が動く、心が動く
我々はいったい何に感動するのだろう
ビルの屋上も空からの眺めも地中の部屋も、あるはずのない、できるはずのない、本来ならば人間の範疇でないことも、それらは全て人間の所業である
象の鼻は象のためにあり、キリンの首はキリンのためにある
そして、我々の能力は我々のためにある
我々は我々に感動するのだ
自然といわれる宇宙や地球規模のもの、我々を包括する世界には、我々は感動どころか圧倒される
今、美術は「何のために何をやりどうなったのか」を知る安心、またはマーケットでこねくりまわされ磨耗するただの商品...
それだけのものになっている
我々は我々として、在るべき人間粒としての在り方を忘れてはいないだろうか
私は今一度ただ一粒の人間粒に立ち返りたい
人間存在の生命をみてみたい
そして私の生命を捧げたい
何故、何をしてどうなったかを知ることができたところで、問題が解けた現代人の些末な悦びを促すだけだ
先人達の藝術に通ずる人間存在の言霊、人を人たらしめるはずの藝術は、象の鼻のようであり、キリンの首のようなものではなかったか
私は私の考える本質を世に問いたい
時間は戻らない
しかし、知ることはできる
有史以前、太古に遡る悠久の時間と、我々が慌ただしく絶望と希望の間を右往左往している現在は、確かに繋がっているのだと
テクノロジーにしろシステムにしろ、全ては原始的な行動の枝葉としてあるはずだ
私は唯々、時間と現象と気と体力を媒体に託して蓄積する
いつしかホモサピエンスとしての我々の一端を、垣間見るのを夢みながら
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