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2013年1月21日月曜日
記憶の暗号 ーあの日の雨は、降り積もるー
2011年3月11日、東日本大震災が起きた。
被災地には劣れども、生まれて初めての強烈な揺れへの体験と惨事に対しての非現実感にしばらく何も手につかなかったが、4月に入りぼつぼつと制作を始めた。
身のうちに起きた何かしらの変化と震災と人災の狭間で、心に何か違和感を残したまま制作をしながらゆっくりと考え続けていた。
震災に際しての何かをしたいという気持ちと無神経な好奇心に、すぐに行動を起こすことがためらわれ、震災に合われた地域と自分の生活圏内との距離にテレビ越しの惨事の情報がない交ぜになり、正直に頭が混乱したからだ。
結果、私はいくらかの募金をしデモに一度参加したきり何もしなかった。
それはあの時の日本人としてあってはならない形であったと私は自分を責める気持ちがある。
いいわけがましくも私は私の震災を在りのままのものとして、何かしらのカタチにしたかった。
明確な震災後の人災についても、プラカードを持つでもなく批判と否定の明確化を文字で表現するのでもない、美術としての在り方を考え続けた。
東洋と國と私と常識と倫理と個人的な時間軸と巨視的な時間軸における歴史的現在年の事実を圧搾し、余分な要素を捨て去るまでに1年という歳月を要した。
端的な要素に絞り込み、虚実の鏡の上に真実の水と負の表象として鉄を溶融したものを配置し、それを空間に展示した。
なるべく「在りのまま」として、大事な物事を作品として表現し続ける。
なぜなら私はジャーナリストでも思想家でもないからだ。
思想はあるが、私が持つのは美術家としての思想である。
何がどうであろうとある消えない事実が様々な人間の心と歴史に刻まれ、無くなるまでに大変な時間を要する目に見えない有害物質が大量に降り積もった。
その変えようがない事実への痛感が、新たに加えられた私が捉えた歴史的現在年としての今である。
サイズ;長さ6000×幅900×高さ100(mm)
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