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2011年3月31日木曜日

震災について

まず、このような場が設けられたならば、震災について何かしら書くべきかどうか、書いてもよいのだろうかと迷い、考えた。
まず、メディアが邪魔なので排除して考える。
すると情報が一気に減って楽になる。
震災についても『風の噂』で知ることになる。
しかし、もはやメディアで見たことと入ってきた情報を『知っている』ということは事実なので、そこでまたある種の「ずれ」が生じる。そして、その情報から僕が衝撃を受け何かしなければならないと感じながら何が大事なのかも分からなくなっていることも事実なのだ
。
要するに、情報はあくまで情報で、依然として僕にとっては微塵もリアルではない
が、そこで起こった感情はまぎれもない『本当』である。
その僕の『本当』と空虚な『情報』との間を取り持つのが、まがりなりにも3.11で経
験した強い揺れだ。
僕は被災地の『本当』がわからない。
わからないのに発言をすることは不可能であるし不謹慎なことだ。
僕はそういうふうには生きていない。
しかし、募金箱がある時はなるべく募金している。


僕が震災について語ることができるのはこれが限度だ。
僕は現地にいくことよりも、僕が本当にやるべきことをやりたい。それに際し僕の尊
敬する稀有な友人の言葉を信じる。彼は僕にこのような言葉を送ってくれた。

『芸術ってのは、どういうときに栄えるんだろうか?
世の中が平穏で静かなときなのか。
それとも、こういう最悪な危機的状況なのか。
君は、美術やったら?
こういうときこそ
美術はね、こういうときいいよ。
誰かが、まったく生きるのに役に立たない制作をしてると思うと、安心するね。
健全だよ。
僕も、世の役に立たない数式いじってるよ。
募金はしたけどね。』


 

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